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アフマドナガル王国 : ウィキペディア日本語版
アフマドナガル王国[あふまどながるおうこく]

アフマドナガル王国(アフマドナガルおうこく, Ahmadnagar Sultanate)は、15世紀末から17世紀前半にかけて、インドのデカン西部に存在したイスラーム王朝1490年 - 1633年あるいは1636年)。ニザーム・シャーヒー朝(Nizam Shahi dynasty)とも呼ばれる。デカン・スルターン朝の一つ。首都はアフマドナガルパリンダーダウラターバード
==歴史==

===アフマドナガル王国の成立===
バフマニー朝末期、1481年に宰相マフムード・ガーワーン が暗殺され内部抗争で王国が衰退すると、1480年代後半より地方長官である総督がバフマニー朝から独立の動きを見せはじめた。
デカン西部では、1489年からダウラターバード総督アフマド・ニザームル・ムルクが独立の動きを見せはじめた。そして、1490年にバフマニー朝から独立を宣言し、アフマドナガルを首都にアフマドナガル王国(ニザーム・シャーヒー朝)を建国した〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.125〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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