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アフリカ史は、アフリカ大陸における歴史。 == 前提 == アフリカは人類誕生の地とも呼ばれるほど、古く長い歴史を持っている地であるが、それを通史として俯瞰(ふかん)できるよう並べた場合、虫食いのような不完全な歴史となってしまう。これはアフリカ史に関する研究対象や蓄積された史料が、地理的にも時代的にも極めて偏っているためである〔大阪外国語大学教授の宮本正興はアフリカの歴史を編纂するにあたって利用が出来る資料は中世アラブの資料と近代ヨーロッパの資料にほぼ限定されており、アフリカ側の記録はほとんど存在しないと述べている。〕。 アフリカの大部分の社会では文字が用いられておらず、文字記録に頼った歴史の研究が行われにくいという事情がある。また、その厳しい環境や政治的、経済的な理由から考古学的な調査が遅れており、樹木や草などの植物を材料に建てられた建物が集まった集落や都市などが多く、それもさかんに移転が行われるなどの事情があって遺構や遺物が残りにくく、たとえ文字記録があっても検証ができない場合〔グレアム・コナー/近藤義郎・河合信和(訳)『熱帯アフリカの都市化と国家形成』河出書房新社,1993年,pp.293-5〕がほとんどである。さらに、民族の移動が激しく口頭伝承によって伝えられる土地や遺物の散逸も著しく、口頭伝承そのものを裏打ちする史料も存在しないため、過去の記録が正確に伝えられてきておらず、歴史をさかのぼることを困難にさせている。 これらの状況下においてアフリカの歴史を語るいくつかの書籍は存在するが、研究者によって歴史の時代区分からして大きな差異が生まれており、一見すると統一性がない状態に置かれている。従来歴史研究の基礎と考えられてきた編年すら困難であることは、アフリカが「暗黒の大陸」や「歴史なき大陸」などと呼称される原因となっている〔ドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルはアフリカの歴史について「社会が停滞し、同じサイクルを反復しているだけのアフリカの過去はすなわち現在であり、アフリカに歴史は存在しない」という哲学的な証明を与えている。〕。 イギリスの歴史家ヒュー・トレヴァー=ローパーは、アフリカの歴史に関して、次のように語っている。 : 「''歴史というものは本質的にある目的に向かって進む運動である。おそらく将来、アフリカにも何らかの歴史が出現するだろう。しかしながら今日、アフリカに歴史はない。強いてあげるならばアフリカにはヨーロッパ人の歴史のみが存在しているのである''」(講談社現代新書『新書アフリカ史』p13より引用) やがて、ケニアの歴史家オゴトが「自分自身の手で歴史が書き上げられて初めて政治的独立がなされる」と指摘している通り、アフリカ各国の独立・国の建設という事業を進めるにあたり、国家として「歴史」が必要になってきた。これに伴い1960年代以降、西欧の決め付けによる「歴史無き大陸」のイメージを払拭するため、アフリカの歴史家たちによって黒人奴隷社会以前の歴史研究が積極的に行われるようになっている〔しかし、アフリカの歴史家自身もヨーロッパの一般的な進歩史観に基づいていたため、中央集権化が進んでいた国家の歴史については詳細な調査が進んでいたが、非中央集権的な社会、固定した権力者を輩出しなかった社会は遅れた事例としておざなりになっていった。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アフリカ史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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