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アブドゥル・アズィズ : ウィキペディア日本語版
アブデュルアズィズ

アブデュルアズィズ(Abd-ul-Aziz, 1830年2月9日あるいは2月18日 - 1876年6月4日)は、オスマン帝国の第32代皇帝(在位:1861年 - 1876年)。第30代皇帝マフムト2世の子で、第31代皇帝アブデュルメジト1世の弟。子にアブデュルメジト2世
==生涯==

===西洋訪問と海軍整備===

1861年、兄のアブデュルメジト1世の後を継いで即位する。
1867年にはパリで開催中だった万国博覧会の視察を目的に、オスマン帝国の皇帝としては史上初となる西欧諸国歴訪を行った。その折に列強の持つ装甲艦に魅了された彼は、のちに海軍力の増強に力を入れ、その結果この時期のオスマン帝国海軍は軍艦の保有数だけでは世界有数となった。また、パリ、ロンドン、ウィーンなどの博物館も視察し、帰国後にを設立した。
1863年にはオスマン帝国ではじめて切手が発行され、1875年に万国郵便連合に加入し、民法典も整備された。
アブデュルアズィズこのような開明的な一面を持つ一方、帝国の財政が悪化しているのを顧みずにいたずらに宮殿の造営などの乱費を繰り返したりもした。
また、力を注いだ海軍整備も、多くの艦船は外国製の中古である上に艦長もお雇い外国人であった。このため造船・操船とも技術が根付くことはなかったばかりか、艦船の購入と維持にかかる莫大な費用が国家財政を圧迫することにもなった。
そして、これらにかかる費用は公債で資金調達されたため、オスマン帝国が事実上の破産状態に陥ることにもなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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