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アブド・アッラフマーン2世 : ウィキペディア日本語版 | アブド・アッラフマーン2世[あぶどあっらふまーん2せい] アブド・アッラフマーン2世(Abd ar-Rahman II、790年 - 852年)は、後ウマイヤ朝の第4代アミール(在位822年-852年)。父は前アミールであるハカム1世。トレドの出身。 アブド・アッラフマーン2世は、ウマイヤ朝の再建のためアッバース朝をモデルにした行政・財政機構の整備を進めると同時に、国力の増強に努め、当時フランク王国下でイスラーム勢力の防衛地点であったスペイン辺境領(現在のカタルーニャ地方)へのジハードを断行、またこの頃から激化してきたノルマン人の侵入に対抗するために、沿岸側の防衛を強化し、アミール権力の強化に尽力する。844年にリスボンとカディスが侵入されている。 また彼は、後ウマイヤ朝の首都コルドバにあるメスキータと呼ばれる会衆モスクの礼拝室を間口11スパン,奥行12スパンから奥行方向に10スパン拡張。このモスクは後ウマイヤ朝初代アミールであるアブド・アッラフマーン1世が785年創建したものであり、イスラーム・スペイン建築の最高傑作と呼ばれる。このモスクはのちにアブド・アッラフマーン3世やハカム2世・ヒシャーム2世らによってさらに拡張される。
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