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アブー・バクル・アル=バグダーディー(、1971年7月28日 - )は、サラフィー・ジハード主義組織ISILの指導者〔Wanted Abu Du’a Up to $10 Million Rewards for Justice(2013年8月2日閲覧)〕、カリフ(自称、イスラム社会を含め国際社会で承認する動きはない)。別名はアブー・ドゥア()。 日本の公安調査庁のウェブサイトでは、2014年11月現在、アブ・バクル・アル・バグダディ・アル・フッセイニ・アル・クレシ()と表記するとともに、本名としてイブラヒーム・アッワード・イブラヒーム・アリー・アル・バドリー・アル・サマッライ()の名を掲載している。 == 青年期 == 1971年、イラクのサーマッラー生まれ。預言者ムハンマドの出身部族であるクライシュ族の血を引くブーバドリー族の出身〔世界はこのままイスラーム化するのか (幻冬舎新書) 島田 裕巳 (著), 中田 考 (著)〕。1994年から2004年までの10年間、バグダード西部のトブチで貧困生活を送っていた。 2013年7月にインターネット上で回覧された聖戦主義者フォーラムの記述によれば、バグダードのイスラーム大学(現在の)でイスラーム学の学士・修士および博士号を取得している。一方で、取得したのは教育学の博士号だったという説もある。 元イラク副大統領のが得た情報によると、バグダーディーは2003年のイラク戦争時にはバアス党の党員として活動していたとされるが、モスクで聖職者をしていたとする説もある。 2004年2月にアメリカ合衆国に対する抵抗組織の設立に関与した容疑で拘束され、キャンプ・ブッカに収容される。キャンプ・ブッカでの収容中に過激な思想の影響を受け、後のISILの主要メンバーとの人脈を築いたとされる〔。12月に釈放されると、キャンプ・ブッカの仲間たちとともにアブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィーらの活動に加わる〔。しかし、アメリカ陸軍のケネス・キング大佐は「バグダーディーは2009年まで収容されていた」と証言しているが、これを裏付ける記録は残っていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アブー・バクル・アル=バグダーディー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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