翻訳と辞書
Words near each other
・ アブワット
・ アブンダンティア
・ アブンダンティア (小惑星)
・ アブン族
・ アブヴィル
・ アブヴィル郡
・ アブヴィル=シュド小郡
・ アブヴィル=ノード小郡
・ アブヴィル=ノール小郡
・ アブヴェール
アブ・アイユーブ・アル=マスリ
・ アブ・アイワークス
・ アブ・アウト
・ アブ・アル=フィダ
・ アブ・アル=フィーダ
・ アブ・カマル
・ アブ・ガルシア
・ アブ・サヤフ
・ アブ・サヤフグループ
・ アブ・サリム刑務所


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アブ・アイユーブ・アル=マスリ : ウィキペディア日本語版
アブー・アイユーブ・アル=マスリー

アブー・アイユーブ・アル=マスリー()は、イラクで活動するジハード主義組織ムジャーヒディーン評議会の指導者で、同国のサラフィー・ジハード主義組織統一機構ISILの戦争大臣(実質的指導者)であった。 別名はアブー・ハムザ・アル=ムハージル()。
== 経歴 ==
1968年、エジプトに生まれる。1980年代に初等教育を受けた後、1982年に、当時エジプトでテロ活動を繰り返していたジハード団に加入し、そこでアイマン・ザワーヒリーと出会う。1980年代、ソ連軍と戦うため、アフガニスタンに向かったとされる。 マスリーの出生や経歴には不明な点も多い。当時、マスリーはパキスタンとアフガニスタンの国境を往復して、対ソ戦に参加していたため、アブー・ジハードユーセフ・ハッダードハビーブ・ハッダード等の複数の偽名を使用していたと思われる。
アフガンでのマスリーの役割は、主にアラブ諸国からやってきたムジャーヒディーンナンガルハール州のFarm-e-Charにある軍事キャンプで訓練・指導し、アラブ兵をリクルートすることであった。現地では、グルブッディーン・ヘクマティヤールアブドゥル・ラスル・サイヤフといった他のムジャーヒディーン指導者とも面識を持った。また、「イラクの聖戦アル=カーイダ組織」の創設者となるアブー=ムスアブ・アッ=ザルカーウィーともアフガンで知り合ったとされ、マスリーはザルカーウィーに命じられて爆弾製造技術を取得したと言われる。
ソ連が撤退した後も、マスリーは他のメンバーと共にアフガンに留まり続けたが、Farm-e-Charにあったキャンプは閉鎖され、新たにジャラーラーバード郊外の丘地にあるDaruntaに軍事キャンプを開設した。このキャンプは、2001年の米軍主導のアフガン空爆で爆撃の標的となった。
1993年ナンガルハール州で起きた国連職員4人が殺害された襲撃事件にも、マスリーが関与したとされる。マスリーの狙いは、西側の人間をアフガンから追い出すことであった。パキスタンのペシャーワルで語ったところでは、ジハードパレスチナチェチェンカシミール、イスラーム諸国にも拡大すべきだ述べたという。
1998年に、イエメン人の女性と結婚。3人の子供を設ける。この時、マスリーはユースフ・ハッダード・ラビーブ( Yussef Haddad Labib)という偽名を用い、教師としてイエメンに入国していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アブー・アイユーブ・アル=マスリー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Abu Ayyub al-Masri 」があります。



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.