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アブー・イナーン・ファーリス : ウィキペディア日本語版
アブー・イナーン・ファーリス

アブー・イナーン・ファーリス( 、1329年 - 1358年)は、マリーン朝の第12代スルターン(在位1348年 - 1358年)。11代スルターン・アブー・アルハサン・アリーの子。
== 生涯 ==
1348年に父アブー・アルハサンが遠征中にカイラワーンで戦死した誤報を受け取ると、アブー・イナーンはフェズで父に代わるスルターンを称した〔バットゥータ『大旅行記』7巻、241頁〕〔森本『イブン=ハルドゥーン』、82頁〕。1350年に軍の残党を率いたアブー・アルハサン・アリーに勝利する。
即位後にアミール・アル・ムーミニーンというカリフの称号を名乗り、マグリブの再統一に着手した〔フルベク「マグレブにおける政治的統一の崩壊」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 上巻、140頁〕。1352年ザイヤーン朝の首都トレムセンを再征服し〔、ザイヤーン朝のスルターンを殺害する〔森本『イブン=ハルドゥーン』、84頁〕。翌1353年にハフス朝が支配するビジャーヤを占領、1357年ハフス朝の首都チュニスに入城したときにマリーン朝は絶頂期を迎える〔。
しかし、アラブ遊牧民の反乱に遭い、アブー・イナーンはイフリーキーヤを放棄してフェズに退却しなければならなくなった〔。1356年末にアブー・イナーンは病に罹り、その間に人質としてフェズの宮廷に往来していたハフス朝の王族アブー・アブドゥッラーとイブン・ハルドゥーンが反乱を企てるが、計画は事前に露見する〔森本『イブン=ハルドゥーン』、87-88頁〕。治世の末期には国内で反乱が続発し〔那谷『紀行 モロッコ史』、194頁〕、1358年にフェズで宰相のハサン・ブン・アマルによって絞殺された〔森本『イブン=ハルドゥーン』、89頁〕。
彼の死後、マリーン朝は衰退の路を辿る〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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