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アブー・ザカリーヤー1世 : ウィキペディア日本語版
アブー・ザカリーヤー1世[あぶーざかりーやー1せい]

アブー・ザカリーヤー1世( Abu Zakariya Yahya I ben Abd al-Wahid、? - 1249年)は、イフリーキヤ(現在のチュニジアアルジェリア東部)を支配したハフス朝の建国者(在位1228年 - 1249年)。
12世紀のイスラム宗教運動家イブン・トゥーマルトの門弟であるハフス・イブン・ウマルの孫にあたる。
== 略歴 ==

=== 独立以前 ===
祖父のハフス・イブン・ウマル、アブー・ザカリーヤー1世の父であるアブドゥル・ワーヒドはムワッヒド朝の下でイフリーキヤの総督を務めていた〔フルベク「マグレブにおける政治的統一の崩壊」、127頁〕。アブドゥル・ワーヒドはムワッヒド朝の副王に相当する権限を持ち〔サイディ「アル・ムワッヒド指導下のマグレブの統合」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 上巻、68頁〕、1207年から1221年までの間イフリーキヤを統治していた〔。
若年時、アブー・ザカリーヤーはセビリアの太守を務め、1223年にイフリーキヤのチュニスに移住する〔森本『イブン=ハルドゥーン』、74頁〕。1228年に総督に就任し、イフリーキヤの支配権を掌握した〔サイディ「アル・ムワッヒド指導下のマグレブの統合」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 上巻、75頁〕ザカリーヤーが総督に就任した直後、1229年にムワッヒド朝の君主(アミール・アルムーミニーン)イドリース・マアムーンがイブン・トゥーマルトがムワッヒド運動で掲げたタウヒード思想を公式に否定する事件が起き〔ローマックス『レコンキスタ 中世スペインの国土回復運動』、192頁〕〔私市「西アラブ世界の展開」『西アジア史 I アラブ』、236,252頁〕、ムワッヒド朝内部の人間の多くがマアムーンの宣言に否定的である中〔、ザカリーヤーはトゥーマルトの教義とムワッヒド運動の精神を守るという大義名分を掲げて金曜礼拝のからマームーンの名前を削り〔、同1229年に独自にアミールの称号を名乗った。1236年よりフトバに自分の名前を入れ、ムワッヒド朝からの独立の意思を表明した〔。独立の経緯より、ザカリーヤーはムワッヒド朝の政治的権威は否定したがムワッヒドの教義自体は認めており、モロッコアンダルスの各地にもハフス朝の正当性を認める者が現れる〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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