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アマル・オシム(Amar Osim、1967年7月18日 - )はボスニア・ヘルツェゴビナのサッカー選手・監督。サラエヴォ出身。父親はイビチャ・オシム。イビチャの長男である。現在は、FKジェリェズニチャルの監督である。 選手としては主にボスニア紛争以前のFKジェリェズニチャルで活躍した。2000年から2004年までFKジェリェズニチャル監督。2006年から2007年までジェフユナイテッド市原・千葉監督。ジェリェズニチャルでの選手、監督、ジェフ千葉での監督のキャリアは父と同一である。 == 経歴 == *1967年 サラエヴォに生まれる *1970年 父の仕事の都合によりフランス・ストラスブールに移住 *1972年 父の仕事の都合によりスダンに転居 *1975年 父の仕事の都合によりヴァレンシエンヌに転居 *1976年 再びストラスブールに転居 *1978年 サラエヴォに戻る。この時までにセルビア・クロアチア語を忘れかける。 *1986年 FKジェリェズニチャル・サライェヴォに入団 *1991年 ジェリェズニチャル退団。以降フランス・ドイツの3部リーグでプレー。内戦前夜のボスニアを去る。母と妹はサラエヴォに包囲される。弟と父は直前にベオグラードに移動。 *1997年 ボスニアでのリーグ再開を受けてジェリェズニチャルに復帰 *1998年 現役を引退。ジェリェズニチャルユース監督に就任 *2000年 トップチーム監督に就任 *2000年/01年 プレミイェル・リーガ優勝。 *2001年/02年 プレミイェル・リーガ優勝。UEFAチャンピオンズリーグ予選1回戦でレフスキ・ソフィアに敗北 *2002年/03年 ボスニア・ヘルツェゴビナ・フットボール・カップ優勝。UEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦でニューカッスル・ユナイテッドに敗北、UEFAカップ1回戦敗退 *2003年/04年 プレミエル・リーガでの不振(最終的には10位)によりシーズン途中にジェリェズニチャル監督を解任。サポーターから解任反対運動が起こる。 *2004年 ジェフユナイテッド市原(当時)コーチに就任 *2006年 日本代表監督に就任した父・イビチャの後任として、ジェフユナイテッド千葉監督に就任、Jリーグヤマサキナビスコカップ優勝(チームとしては連覇) *2007年 成績不振により千葉監督を解任される。 *2008年 解任後も父・イビチャ看病のため、日本に滞在していたが6月にボスニアに帰国。ジェリェズニチャル本拠地近くでカフェを営む。12月にジェリェズニチャルより監督就任の打診があったが、クラブフロントへの不信と給与未払い未解決により就任せず。 *2009年 6月に再度ジェリェズニチャルより監督就任の打診あり、給与の未払い問題の解決、経営陣の総入れ替えなどにより、7月上旬、同クラブ監督に二度目の就任。 *2009/10シーズン プレミイェル・リーガ優勝。監督復帰1年目から8シーズンぶりにタイトルをもたらす。ボスニア・ヘルツェゴビナ・フットボール・カップ準優勝。 *2010/11シーズン プレミイェル・リーガ3位。ボスニア・ヘルツェゴビナ・フットボール・カップ優勝。来期UEFAヨーロッパリーグへの出場権を得る。 *2011/12シーズン プレミイェル・リーガ優勝。ボスニア・ヘルツェゴビナ・フットボール・カップ優勝。少ない予算とボスニアリーグの混乱にもかかわらず、チームをまとめ上げ、2冠を達成。リーグ戦・カップ戦合わせて、35試合連続負け無し(間に5連勝2回、6連勝、8連勝含む)のボスニアリーグ記録を達成。来期UEFAチャンピオンズリーグへの出場権を得る。 *2012/13シーズン プレミイェル・リーガ優勝。ボスニア・ヘルツェゴビナ・フットボール・カップ準優勝。監督に復帰してから毎年タイトル獲得。来期UEFAチャンピオンズリーグへの出場権を得る。通算リーグ優勝5回、準優勝1回、カップ戦優勝5回、準優勝3回。 *2013/14シーズン シーズン始めのUEFAチャンピオンズリーグ予選2回戦でFCプルゼニに敗退後、監督を退任し、クラブのスポーツディレクターに就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アマル・オシム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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