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アミスタッド号事件[あみすたっどごうじけん]
本項では、1839年にスペイン籍の奴隷輸送船で起こった乗っ取り事件と、それに関連してアメリカ合衆国で行われた一連の裁判について説明する。 キューバ沿岸を航行中のスペイン籍の商船ラ・アミスタッド号(、スペイン語で「友情」の意)では、船内のアフリカ人奴隷が反乱を起こし、船を乗っ取った。その後彼等はアメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランド近辺(現モントーク岬州立公園(Montauk Point State Park))にてアメリカ海軍により逮捕、勾留された。本事件に関連して米国で行われた裁判は、「アミスタッド号事件」として大きく注目を集め、奴隷廃止運動を前進させる結果をもたらした。1840年、連邦予審法廷は、これらのアフリカ人たちについては、もともとのアフリカ大陸からの移送が非合法であったと認定し、彼等は法的に奴隷ではなく、自由の身にあると認めた。1841年3月9日、合衆国最高裁判所によりこれらの事項が認められ、1842年、これらのアフリカ人たちは故郷へ帰還した。 == 海上の反乱 ==
アミスタッド号の航海は、1839年6月28日、当時はスペイン植民地であったキューバのハバナから始まった。船には、奴隷として購入されたとされた53人のアフリカ人が乗っていた。船は、キューバのプエルト・プリンチペ(カマグエイ州)に向かっていたが、7月2日、アフリカ人の一人、ジョゼフ・シンケ(Joseph Cinqué、本名Sengbe Pieh)が自らの鎖を解くことに成功し、仲間の鎖も解いた。彼等は、船のコック(アフリカ人たちに対して、目的地に着いたあとどのようにして彼等が殺され、食べられることになっているかを語って脅していた)と船長を殺害、2人のアフリカ人も戦闘の中で命を失い、また2人の船員が逃走した。アフリカ人たちは、偽造書類上奴隷たちの所有者となっていたホセ・ルイス(José Ruiz)とペドロ・モンテス(Pedro Montez)の2人については、彼等が船をアフリカに向かわせると信じて殺さず、また船長が個人的に所有していた奴隷についても命を奪わなかった。 しかし、舵を握ったルイスたちはアフリカ人たちをだまし、アミスタッド号をアメリカ合衆国海岸沿いに北へ航行させた〔。アミスタッド号は沿岸でしばしば目撃され、同年8月26日、ロングアイランドの半マイル沖に投錨し、数名のアフリカ人たちが水や物資を確保するために上陸した際に、アメリカ海軍ブリッグ艦ワシントン号(1837年建造)により発見された。司令官のゲドニー(Gedney)大尉の命令により、ワシントン号乗員はアミスタッド号及び奴隷たちを拘留し、コネチカット州へ連行した。大尉はそこで海事法に基づいて、船体、積荷、及びアフリカ人たちの海難救助報告書を提出した(この行為は、文書誹毀罪に相当)。伝えられるところによれば、ゲドニー大尉はコネチカット州では(ニューヨーク州とは異なり)奴隷所有が合法であったために、コネチカット州に上陸し、奴隷たちから利益を得ようとしていた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アミスタッド号事件」の詳細全文を読む
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