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アムステルダム大学(オランダ語:Universiteit van Amsterdam)はオランダのアムステルダムにある公立の総合大学。年間予算は4億870万ユーロ。UvAと略される。 オランダの教育システム上、学部と大学院の区別はなく、人文科学、社会・行動科学、経済・経営学、法学、自然科学、医学、歯学の7つの学部で構成されている。近年では外国人学生の獲得にも力を入れ、2007年現在、85の修士レベルのプログラムが英語で提供されている。外国人向けにすべて英語で講義を行う人文学専門附属スクールもある。学士レベルのプログラムは、ほとんどがオランダ語のみ。23,000名以上の学生が学んでいる。これまで総計9万人以上の卒業生を世に送り出した。 アムステルダム大学は、同市に存在するアムステルダム高等職業教育機関との協力を強め、将来的には完全合併を模索する動きもある。その際には、総学生数5万人を超えるマンモス大学が誕生する。また、ヨーロッパ連合内の動きとして、1999年に合意されたボローニャ協定がアムステルダム大学では2003年に取り入れられ、大学内の構造に変化を与えた。その結果、オランダ古来の学位名は破棄され、イギリスをモデルとした学士・修士号が授与されることとなった。これにより、オランダの学位レベルの国際的比較が容易になった。 == 歴史 == 1632年に教会所属のAthenaeum Illustreとして設立。初期の学生数は6人。講義は教授の自宅でおこなわれることも多かったといわれる。17世紀後半には、哲学のほかに、法学、医学、宗教学が追加された。Athenaeum Illustreの発展は非常にゆるやかで、19世紀に入っても学生数250人、教授数8人という所帯だった。ナポレオン戦争の後の1815年、ようやく高等教育機関として公式に認可された。1877年にはアムステルダム市立大学(Gemeentelijke Universiteit)と名前を変更し、博士号を授与する権威を得た。アムステルダム市長が大学の最高幹部となり、アムステルダム市の伝統である自由闊達な空気は、市立大学の自治に多大な影響を与えた。1961年、オランダ国内の大学システム変革の一環として、国がアムステルダム市に換わって大学の財政を担うこととなり、名称がアムステルダム大学(Universiteit van Amsterdam)と変わり、今日にいたる。 アムステルダム大学はオランダの各大学の中でも左翼的傾向があることで知られ、大学紛争時の1969年には大学本部のあるマーフデンハウス(Maagdenhuis)が大学民主化を求める学生によって占拠され、機動隊と激突した。2007年に就任したファン・デン・ボーン学長は、オランダ史上初の女性大学学長。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アムステルダム大学」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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