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アメリカ横断ウルトラクイズの各大会の詳細(アメリカおうだんウルトラクイズのかくたいかいのしょうさい)では、日本テレビで放送された『アメリカ横断ウルトラクイズ』の各大会の詳細について記述する。 * この項目で述べる地名およびクイズ名称の表記は、番組内での表記に従うものとする。「CP」は「チェックポイント」の略記。 * 実際の大会では実施されたが放映されなかったクイズ(どろんこクイズの勝者決定戦など)や、席順決めのためのクイズ、3位決定戦、勝敗に無関係なクイズ(敗者予想クイズなど)は割愛する。また、各クイズの参加・通過人数は放送上でのものであり、実際とは異なる場合がある。 * 「決勝戦の結果」は放送上のポイントであり、実際と異なる場合がある。また、名前の順はテレビの画面通り。 * 決勝戦進出者・機内1位の氏名、年齢、職業は特記がない限り開催当時のものであり、現在のものではない。 * 各挑戦者にある番号は参加したときのネームプレートに書かれた番号を指す。 == 第1回(1977年) == 日本テレビ開局25周年記念番組という形の特別番組として開催。そのため「第1回」という表記はなく、番組タイトルも「史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ」だった。当初は1週のみの放送予定であったが、放送時間が不足したために2週連続に拡大された。スタジオでは観客に対して賞金付きクイズ王予想が行われた。 各チェックポイントで行われたクイズの大半が早押しクイズであった。当時は成田空港(新東京国際空港、現・成田国際空港)が未開港で、第二次予選は羽田空港(東京国際空港)で行われた。 ×はこの回のみ「ペケ」と呼称されていた。 * ※1:2名出場辞退。 * ※2:直前の○×クイズの最終問題での失格者7名のみ参加。 決勝戦進出者 * クイズ王 : 松尾清三(京都府出身・No.15・38歳・機内1位) *: 立命館大学出身、材木店経営。優勝時の年齢が歴代最年長。関西地区収録のクイズ番組を中心に参加し、数多くの優勝歴も持っていた。クイズ本番前に歌い出したり口笛を吹くといったマイペースぶりを見せており、フェニックス以降2位通過で決勝へ進出した。第11回準決勝ではゲスト「ミスターX」として登場し、彼との勝負に勝てば決勝進出というクイズ形式が採られた。後年は幾多の大型クイズ番組に出場している。 * 準優勝 : 藤原滋子〔後に藤原の子供もクイズ番組に出場し、アタック25の小学生大会で優勝している。〕(愛知県出身・No.74・27歳・機内8位(女性2位)) *: クイズ番組優勝歴を多数持っていた実力者。グァムで敗者復活。本土上陸後はフェニックス以外は全てトップ通過で決勝へ進出した。 * 決勝戦の結果 : VS 優勝賞品 * ラスベガスの土地1エーカー (砂漠のど真ん中・1226坪分) テレビ放送(全2週) * 第1週…1977年(昭和52年)10月20日:サンディエゴまで * 第2週…1977年10月27日:「西部の大混戦」 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アメリカ横断ウルトラクイズの各大会の詳細」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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