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アメリカ海軍情報部または海軍情報局(Office of Naval Intelligence;略称ONI)とは、アメリカ海軍の情報機関。 アメリカ合衆国のインテリジェンス・コミュニティー(情報共同体)の一員であり、陸軍の情報保全コマンド(INSCOM)、空軍の情報・監視・偵察局(AFISR)、海兵隊の情報部とともに、国防総省の管轄下にある四軍〔国土安全保障省に属する沿岸警備隊を含めれば「五軍」である。ちなみに沿岸警備隊も情報部(CGI)を有しており、五軍全てが独自の情報機関を有している。〕の情報機関の1つとして任務に当たっている。 == 歴史 == === 創設期 === 海軍情報部創設のきっかけとなったのは、合衆国を二分した南北戦争(1861年 - 1865年)である〔“Proud History” 海軍情報部の公式サイトにて紹介されている海軍情報部の歴史。〕。合衆国海軍は南北戦争において、連合国海軍(南軍)とともに装甲艦(甲鉄艦)を建造・実戦投入したり、海上封鎖により南部経済に大きな打撃を与えるなど、大きな進歩・戦果をあげた。しかし南北戦争の終結後、合衆国海軍の戦力は大きく削減され、その結果保有艦艇は装備が旧式化したものが少数という欧州諸国、ロシアなどの列強諸国や日本など当時海軍力の強化・近代化を推進していた「海軍大国」の国々に比して、戦力的に大きく水をあけられた極めて脆弱な状況に陥った〔。 1880年代に入り、当時のジェームズ・ガーフィールド(第20代)、チェスター・A・アーサー(第21代)両大統領の下で海軍長官を務めたウィリアム・H・ハント長官は、弱体化した海軍の現状に警鐘を鳴らし、海軍諮問委員会を設置するなど、連邦政府もようやく海軍力の再建・近代化の必要性を認識し、これに取り組むようになった。その取り組みの中で、艦艇増強などと併せて実施された近代化策の1つが海軍情報部の設置である。 アーサー政権時代の1882年3月3日、ウィリアム・H・ハント長官により海軍省令(一般省令第292号)が発令され、この省令により航海局(Bureau of Navigation)の下に情報課が編成された。この日は海軍情報部の公式な創設日とされており、海軍情報部はアメリカのインテリジェンス・コミュニティーの中でも最古の情報機関となっている。本省令によって情報課に与えられた任務は、「戦時および平時において、海軍省にとって有益と思われる情報の収集および記録を行う」ことであった〔“General Order No. 292 (23 March 1882)” 海軍情報課の創設を命じる海軍省令(一般省令)第292号の全文。海軍省ライブラリにて公開されている。〕。 この海軍省令・情報課創設に先立ち、海軍による情報任務の構想・経験獲得のため、セオドラス・メイソン大尉がヨーロッパに派遣された。この際、当時のイギリス海軍が独立した情報部を有していなかったため、フランス海軍が模範に取られた。1882年から1888年の間、駐ロンドン、パリ、ローマのアメリカ大使館に海軍駐在武官職が制定された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アメリカ海軍情報局」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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