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アメリカ陸軍工兵隊(アメリカりくぐんこうへいたい、)は、アメリカ合衆国政府の機関の一つであり、下記の業務を含むエンジニアリングを行う。 * ダムなど土木工事プロジェクトの計画、設計、施工および運転 * アメリカ陸軍とアメリカ空軍の軍事施設の設計と施工監理 * 他の国防部局など連邦政府の施設の設計と施工監理の支援 * 放射能汚染地域の管理・除染 (FUSRAP) 工兵隊には34,600名の軍属と650名の軍人が勤めている。通常は工兵隊(the Corps of Engineers)と呼ばれる。 工兵隊の歴史は1775年のアメリカ独立戦争時、大陸会議がリチャード・グリドリーを最初の技師長に任命したときに始まった。その最初の任務はボストン市に近いバンカーヒルの防御線を造ることであった。工兵隊としてはフランス王ルイ16世に仕えていた中からジョージ・ワシントンに雇用されたフランス人技師で大半が構成されていた。1802年、工兵隊はウエストポイントに駐在することとなり、アメリカでは最初の陸軍士官学校を造った。 == 注目を浴びた時 == 大陸会議は1775年6月16日、「大陸軍の技師長」を創設することを承認した。これはジョージ・ワシントンが大陸軍の最高司令官に任命された翌日にあたる。工兵隊としては1779年3月11日に大陸会議に承認された。現在の形の陸軍工兵隊となったのは1802年3月16日であり、時の大統領トーマス・ジェファーソンは、「工兵隊を組織として設立する ... この兵団は ... ニューヨーク州ウエストポイントに駐在し、陸軍士官学校を建設する」ことを承認した。陸軍士官学校は1866年まで工兵隊の指導下にあった。1812年の米英戦争後、ニューオーリンズの要塞化を初めとして、アメリカ合衆国の河川工事に関わることは工兵隊の管轄となった。1838年7月4日に承認された地理工学兵団は士官のみで構成されており、灯台など連邦政府の土木工事について、地図作り設計および施工を任された。この士官の中には、南北戦争で活躍したジョージ・ミードがいた。地理工兵隊は1863年に工兵隊に合併された。 工兵隊が担当した顕著な建造物としては、連邦政府予算が付かなくなった1838年までのカンバーランド道路、高さ555フィート5 1/8インチ (169 m)のワシントン記念塔(トマス・リンカーン・ケーシーの監督と指揮によって1888年に完成)、主要な水力発電プロジェクト、ペンタゴンの計画と建設、および原子爆弾のマンハッタン計画がある。 ミシシッピ大洪水など災害時の応急的土木工事も工兵隊の責任範囲となった。ニューオーリンズはこの事例である。 1965年のハリケーン「ベッツィ」で市街地の大部分の洪水被害を受けたニューオーリンズでは、連邦指令により、洪水防止法に規定される堤防の設計と建設に対する責任ある唯一の部局となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アメリカ陸軍工兵司令部」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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