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第101空挺師団(101st Airborne Division)は、アメリカ陸軍の師団の1つ。ニックネームはスクリーミングイーグル(Screaming Eagles, 「叫ぶ鷲」)で、モットーは「運命とのランデブー」("Rendezvous With Destiny")。編成自体は1918年から行われているが、本格的な運用は第二次世界大戦が始まってからであった。 == 沿革 == 1918年7月23日、第101師団本部が国民軍(National Army)の一部として設置され、同年11月2日にミシシッピ州にて改めて結成された。12月11日には動員が解除される。1921年には師団本部が予備役として改めて設置され、同年9月10日ウィスコンシン州ミルウォーキーにて結成される。この時期、南北戦争におけるウィスコンシン義勇兵の伝統を受け継いで「叫ぶ鷲」()が師団の象徴となった。1942年8月15日、陸軍空挺部隊の再編計画の一環として師団が解体される。そして翌8月16日、ルイジアナ州にて新師団長ウィリアム・C・リーを迎えて改めて第101空挺師団が設置されたのである。 第二次世界大戦中には、ノルマンディー上陸作戦、マーケット・ガーデン作戦、バルジの戦いなど、西部戦線における主要な降下作戦・防衛作戦に投入された。 アメリカ陸軍において通常の歩兵師団が基本的に州単位で編成されるのに対し、第101師団は予備役師団としてすべての州の予備役が召集されて編成されたために「オールアメリカン(全米部隊)」として知られ、第82空挺師団とともに米陸軍の精鋭部隊として知られる(ちなみに、部隊章に「オールアメリカン」の名があるのは82空挺師団の方)。この「州から独立した精鋭部隊」という位置づけは、州政府の人種隔離政策を連邦政府が実力で覆したリトルロック高校事件での活躍に繋がることになる。 第101空挺師団は日本が降伏したことを受けて1945年11月30日に復員されている。その後1948年と1950年に訓練師団として再編される。1954年にまた再建され、1956年には常備師団として再編されそれ以降はケンタッキー州のフォート・キャンベルを駐屯地とする(それ以前は同州のブレッキンリッジ基地を駐屯地としていたようである)。 1957年に部隊の一部が、アイゼンハワー大統領の命令で以前は白人のみ通えたリトルロック・セントラル高校に通うようになった黒人生徒達の護衛に付いた(アーカンソー州リトルロックで起きた「リトルロック高校事件」)。1960年代からはベトナム戦争に投入され、最初は第1旅団のみ派遣されたが、1967年には残りの部隊も派遣される。1968年にヘリボーン部隊(空中強襲師団)に改変された。その後も湾岸戦争、コソボ紛争、不朽の自由作戦、イラク戦争など、アメリカが関与した主要な戦争に派遣されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第101空挺師団 (アメリカ軍)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 101st Airborne Division 」があります。 スポンサード リンク
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