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アメリカ麻雀(アメリカマージャン)は、アメリカ合衆国で遊ばれている麻雀である。英語では Mahjong, Mah-Jongg など、さまざまにつづられ、また Maj と略されることもある。 == 歴史 == アメリカ合衆国に麻雀がもたらされた最古の記録は、1893年のシカゴ万国博覧会において、当時イギリスの駐朝鮮公使で、中国のカードゲームの収集家として有名なウィリアム・ヘンリー・ウィルキンソンが麻雀を展示したことにはじまる。このときは麻雀という名は知られておらず、中国式ドミノの一種の「Chung-Fat(中発)」として紹介されている。あくまで展示にすぎず、麻雀が実際に遊ばれたわけではない。ウィルキンソンの1895年の論文では「麻雀(ma chioh)」の語が出現するが、これは現在の麻雀とは別のゲームを指すようである。 1920年以降に麻雀はアメリカ合衆国へ輸入された。当時の麻雀牌は主に牛骨で作られ、アメリカから牛の脛骨を輸出し、中国で加工して輸入した〔Rep (2007) p.22〕。高価なものであったが、1920年代に麻雀はアメリカで大流行した。1924年にはエディ・カンターらが「Since Ma Is Playing Mah Jong」を歌い〔Rep (2007) p.60〕、同年のブロードウェイ・ミュージカル『Sweet Little Devil』(ジョージ・ガーシュウィン作曲)でも「マージャン・ブルース」という曲が歌われている〔Cavallaro & Luu (2005) p.50〕。 スタンダード・オイルの社員として中国で働いていたジョゼフ・バブコックは、1920年に英語の麻雀ルールブック(表紙の色から「Red Book」と呼ばれた)を作り、輸入麻雀セットに添付した。この本に記されたルールは役などが単純化されていた。バブコックはハイフンつきでGが2つある「MAH-JONGG」を商標登録した。 ただし、必ずしもアメリカ合衆国でバブコックのルールが広く使われたわけではなく、バブコック以外の人の書いた本では中国のルールとほぼ同じルールになっていた。1924年にバブコックら数人によって公式ルール(American Official Laws of Mah-Jongg)が出版された。このルールは基本的に当時の中国ルールと同一だったが、七対子(Seven Twins)や緑一色(All Green)などの役を含んでいた。また、安上り対策として一飜しばり(One-Double game)と一色しばり(Cleared-Hand game)のオプションが設けられていた。 1930年代になると麻雀の流行にかげりがさした。その一方、ルールにさまざまな変更が加えられた。安上り対策として順子は数を制限するか、または禁止した。さらに、花牌やジョーカー(ワイルドカード)を加えたり、高い役を作りやすくするための手札交換(チャールストンと呼ばれる)のルールを加えるなどの工夫が行われた。 1937年に全米マージャン連盟(National Mah Jongg League、略称NMJL)が成立し、公式ルールを発表した。NMJL ルールの特徴は、役が毎年変わることで、そのため競技者は NMJL が発行するルールブックを毎年購入する必要がある。NMJL のルールはほかの麻雀とは非常に大きく異なっている。 NMJL は毎年クルーズ船の中で1週間にわたる麻雀トーナメントを開催している。 米軍ではこれとは別なルール(ライト・パターソンルールと呼ばれる)が知られる。こちらは花牌やジョーカーを使用しないが、チャールストンは含まれている。また多くの特殊な役がある〔Rep (2007) p.90〕。 アメリカの麻雀の特徴として、競技者の多くがユダヤ人であること、主に女性によって競技されることがあげられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アメリカ麻雀」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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