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アメン大司祭国家 : ウィキペディア日本語版
アメン大司祭国家[あめんだいしさいこっか]
アメン大司祭国家紀元前1080年頃 - 紀元前945年頃)は、古代エジプト新王国末期頃に成立したテーベ(現在のルクソール紀元前3世紀のエジプトの歴史家マネトの記録ではディオスポリスマグナと呼ばれている。これはゼウスの大都市の意であり、この都市がネウト・アメンアメンの都市)と呼ばれたことに対応したものである。この都市は古くはヌエと呼ばれ、旧約聖書ではと呼ばれている。ヌエとは大都市の意である。新王国時代にはワス、ワセト、ウェセ(権杖)とも呼ばれた。〕)のアメン大司祭〔大司祭という訳語も絶対的なものではない。大祭司や神官長などと翻訳される場合もある。〕を中心とした国家。日本語表記は一定せず「アメンの神権国家」などとも呼ばれる。
アメン大司祭国家はアメン神殿のあるテーベを中心に上エジプトを統治した。歴代のアメン大司祭はカルトゥーシュを用いるなど王として振舞ったが、下エジプトのタニスに中心をおく第21王朝の権威も承認していた。当初は対立したが、両者は姻戚関係を結び概ね平穏な関係を維持した。やがて第21王朝が倒れ傭兵の子孫によって第22王朝が勃興すると、アメン大司祭国家は第22王朝のコントロール下に置かれることになった。しかし、その政治制度や神殿の勢力はなお維持され、第22王朝の下でもアメン大司祭職は極めて重要な役職であり続けた。
== 歴史 ==

=== 成立 ===
テーベのアメン神殿で祭られるアメン神はエジプトの国家神であり、新王国時代の歴代エジプト王は莫大な寄進を繰り返した。この結果アメン神官団の勢力は飛躍的に増大し、新王国時代半ばに入るとこれに危惧を覚えた王側によってアメン神殿の勢力を抑える方策が採られた。しかし新王国最後の第20王朝の時代には再びアメン神殿に対する王の寄進が活発となり、アメン神殿はエジプト国内に広大な神殿領を保持するようになっていた。
アメン神殿勢力が事実上の独立勢力と言うべき状態になったのは第20王朝の末期である。第20王朝最後の王の時代、ヌビア総督はテーベ周辺の上エジプト南部まで管理権を拡大していた。なぜヌビア総督がテーベ周辺地域までも管轄できたのかわかっていない〔強力になりすぎたアメン神殿を制御するための王側の手はずによるとも言われる。〕が、やがてパネヘシは謀反の罪によってその地位を追われた。その後新しくアメン大司祭にクシュ(上ヌビア)副総督と宰相職を持っていたが就任した。ヘリホルの妻ノジメト(, )はラムセス11世の姉妹であったとも言われ、ヘリホルは姻戚関係を軸に権勢を拡大していたものと思われる。
アメン大司祭職を手に入れたヘリホルはアメン神官団の財力を背景に第20王朝を無視して独自の年号「ウヘム・メスウト〔「誕生の更新」の意。通常は「再生」と翻訳される。〕」を採用し、神託によってテーベの統治権を与えられたと主張して上エジプトを領土とする事実上の国家を形成した。そして独自に王号を称し、即位名(上下エジプト王名)をヘムネチェルテピエンアメン(アメン第1の預言者)としたのである。
ヘリホルはラムセス11世より早く死に、その後はヘリホルの娘婿と推定されているがアメン大司祭職を継いだ。ピアンキに関する記録はほとんど無いが、彼はラムセス11世とほぼ同じ頃に死んだと推定されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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