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アラウンシードゥー : ウィキペディア日本語版
アラウンシードゥー

アラウンシードゥー(、1087年 - 1167年〔17世紀末の史料『出生票集王統史』では、1165年没。(大野『謎の仏教王国パガン』、56頁)〕、在位1112年 - 1167年)は、パガン王朝の第4代の国王。父のソウユンは第2代国王ソウルーの子で、母のシュウェ・エインティは第3代国王チャンシッターの娘である。史料によってはスィードゥーシュエーグー・ダーヤカーとも書かれる〔大野『謎の仏教王国パガン』、177頁〕。
== 略歴 ==
彼の出生を喜んだ祖父のチャンシッターによって、誕生して間もなく王位の後継者に指名される〔G.E.ハーヴェイ『ビルマ史』、58頁〕。
即位直後はパテインテナセリムで起きた反乱に悩まされ、1114年には王宮が反徒に襲撃される〔G.E.ハーヴェイ『ビルマ史』、66頁〕。在位中の事績として、度量衡の統一と法に則った裁定を自ら下した行政面での貢献がビルマ語王統史で述べられている〔G.E.ハーヴェイ『ビルマ史』、74頁〕。彼がパガンに建築した仏塔寺院として、1131年に建立したシュエグージー寺院と1144年に建立したタッビンニュ寺院の二つが現存する〔大野『謎の仏教王国パガン』、57頁〕。
1167年にアラウンシードゥーが病に罹ると、王の代理人に任命されていた子のナラトゥーは宮廷を制圧し、病身の彼はナラトゥーによってシュエグー寺院に移送された。彼が寺院で意識を取り戻すと、処罰を恐れたナラトゥーによって殺害された〔G.E.ハーヴェイ『ビルマ史』、75-76頁〕。
ビルマ史家のハーヴェイは反乱が頻発した理由の一つとして、アラウンシードゥーがしばしば宮廷を留守にしていたことを挙げている〔G.E.ハーヴェイ『ビルマ史』、69頁〕。彼は地方に仏塔を多く建て、マンダレーでは水利工事を行い〔G.E.ハーヴェイ『ビルマ史』、69-70頁〕、王統史には、彼自らが海路よりベンガル地方を訪れて、その地でアノーヤターが建立した仏像を発見した伝説が記されている〔G.E.ハーヴェイ『ビルマ史』、73-74頁〕。また、1115年に南詔に使節を送り、その後仏歯(仏陀の歯)の探索を目的として、自ら軍を率いて南詔に進入したが発見には至らなかった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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