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アラブ・ビザンティン戦争 : ウィキペディア日本語版 | ブルガリア・東ローマ戦争[ぶるがりあ ひがしろーませんそう]
ブルガリア・東ローマ戦争(ブルガリア・ひがしローマせんそう)は、東ローマ帝国と第一次ブルガリア帝国、第二次ブルガリア帝国との間に行われた戦争。680年から1355年まで断続的に戦闘が行われた。 == ブルガール人の進出 == 大ブルガリアを築いたクブラト・ハーンの死後、ブルガール人の各部族は分裂し、東方のハザール人の攻撃を受けて西方に落ち延びるように進出していったそのうちの一つである、アスパルフに率いられたブルガール人部族はドナウ川のデルタ地帯に拠点を築き、現地のスラブ人と同盟関係を築いた。これを脅威と見た東ローマ皇帝コンスタンティノス4世は680年にブルガール人を討伐したが敗北してしまい(オングロスの戦い)、逆にモエシアを占領されてしまった。東ローマはブルガール人の移住と建国を正式に認めるという条約を結んだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブルガリア・東ローマ戦争」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Byzantine-Bulgarian wars 」があります。
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