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アルカセル・キビールの戦い : ウィキペディア日本語版 | アルカセル・キビールの戦い[あるかせるきびーるのたたかい]
アルカセル・キビールの戦い(Batalha de Alcácer-Quibir)は、1578年8月4日、モロッコのアルカセル・キビールで行われたポルトガル軍とサード朝スルタン軍との戦い。モロッコ側からは、「マハザン川の戦い」という。親征したポルトガル王セバスティアンは敗れ、戦死した。 == ドン・セバスティアン == 1557年ポルトガル王ジョアン3世が没すると、孫のドン・セバスティアンが即位した。父ドン・ジョアンの死後に生まれた息子である。幼少であったため、ジョアン3世王妃のカタリーナが摂政に就いたが、カタリーナはスペイン王カルロス1世の妹であり、スペインの影響力がポルトガル王室に浸透し始めた。セバスティアンはイエズス会の強い影響力の下に教育され、1568年親政に就いたが、政務に興味を示さず、十字軍戦士となることを熱望し、北アフリカの征服を夢想するようになった。 また、この頃にはポルトガル海上帝国のインド洋における胡椒貿易独占体制は破られ、イスラム教徒の紅海貿易によってヴェネツィアの胡椒貿易が復活するようになっていた。このため、インドに代わる新たな植民地をポルトガルに近い北アフリカに建設しようとする動きも出てきた。
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