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アルチュ・ボラト アルチュ・ボラト(、、1490年 - ?〔『蒙古源流』の記載に拠る(岡田2004,239頁)〕)とは、モンゴルの大ハーンであるバト・モンケ(ダヤン・ハーン)の息子の一人。エル=ボーラ()とも表記され、漢文史料においては「納力不剌台吉」と記されている〔吉田1998,232頁〕。5オトク・ハルハを分封され、「内ハルハ五部」の始祖となった。 == 概要 == ダヤン・ハーンとその正妻マンドフイ・ハトンの間の息子として生まれた。ダヤン・ハーンの六男と見られ、『蒙古源流』ではオチル・ボラトと双子で生まれたとも記される〔モンゴル語史料の記述に従えば、マンドフイ・ハトンは3組もしくは4組の双子を続けて出産したことになるため、双子で生まれたというのは疑問視されている(森川1988,2頁)〕。『蒙古源流』によるとオチル・ボラトとアルチュ・ボラトが生まれそうな頃、オイラトの襲撃があったが、フンギラトのエセレイ大夫、ハチンのジフイ・ダルハン、バルガチンのバヤン・ボケ、アストのバト・ボラトの助けによって無事逃れ、双子を産むことができたという〔岡田2004,225頁〕。
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