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アルテュール・グリュミオー : ウィキペディア日本語版
アルテュール・グリュミオー

アルテュール・グリュミオー(Arthur Grumiaux, 1921年3月21日 - 1986年10月16日)は、ベルギーヴァイオリニストピアニストとしても活動した。
== 来歴 ==
ベルギーのVillers-Perwin(ワロン地域エノー州)で生まれた。労働者階級の出身だが、祖父の奨めにより4歳でヴァイオリンを学び、11歳になるまでに、シャルルロワ音楽学校のヴァイオリン科とピアノ科の両方で首席をとった。後にブリュッセル王立音楽院に進み、1949年にはグリュミオー自身もそのヴァイオリン科で教鞭を執った。パリに留学してジョルジュ・エネスコに入門もしている。第二次世界大戦中は、ナチス・ドイツ占領下のベルギーで室内楽の演奏旅行を行なった。
戦後になってからソリストとしての名声がうなぎ上りとなり、ピアニストのクララ・ハスキルをパートナーに迎えて演奏活動を行なった。1960年にハスキルが急死してからは、一個人としても演奏家としても虚脱感に見舞われている。
グリュミオーは音楽界への貢献が認められ、1973年に国王ボードゥアン1世により男爵に叙爵された。その後も持病の糖尿病に苦しめられながらヴァイオリンの指導を続けたが、1986年心臓発作によりブリュッセルにて他界した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルテュール・グリュミオー」の詳細全文を読む



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