翻訳と辞書
Words near each other
・ アルテュール3世
・ アルテュール3世 (ブルターニュ公)
・ アルテュール・オネゲル
・ アルテュール・グリュミオー
・ アルテュール・デカボーテル
・ アルテュール・デ・グレーフ
・ アルテュール・ド・ゴビノー
・ アルテュール・ド・ブルターニュ
・ アルテュール・ド・リシュモン
・ アルテュール・ネーベ
アルテュール・フォルタン
・ アルテュール・ムールマンス
・ アルテュール・ランボー
・ アルテュール・ルリエ
・ アルテュール・ルリエー
・ アルテュール・ヴィショ
・ アルテラ
・ アルテラシオン
・ アルテリア・ネットワークス
・ アルテリウイルス科


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アルテュール・フォルタン : ウィキペディア日本語版
アルテュール・フォルタン

アルテュール・フォルタン(、生没年不詳)はフランス陸軍砲兵隊の下士官。
==略歴==

慶応3年(1867年)、彼はジュール・ブリュネに同伴し、フランス軍事顧問団の一員として日本にやって来た。彼は幕府伝習隊を調練した。
戊辰戦争が勃発すると、フォルタンはフランス陸軍の職を辞し、幕府側で戦い続ける事を選んだ。彼はブリュネ等と共に箱館戦争に参戦し、四列士満(レジマン、フランス語で連隊を意味する "régiment" をそのまま当て字にした)のうちの一隊の隊長を務めた。
明治2年4月9日(1868年5月20日)、新政府軍は北海道に上陸、5月11日(6月20日)五稜郭に立て籠もる箱館政権軍に対し、明治新政府軍の総攻撃が開始され、五稜郭は陥落、5月18日(6月27日)総裁・榎本武揚らは新政府軍に投降した。フランス人らは、榎本の勧めに従い、総攻撃前の5月1日(6月10日)に箱館港に停泊中のフランス船に逃れた。
その後、フォルタンは、マルラン、ブッフィエと共に、明治3年(1869年)、当時大阪にあった兵部省に雇われた。さらにその後、東京に移った兵学寮に雇われた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルテュール・フォルタン」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.