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アルトゥク朝[あるとぅくあさ]
アルトゥク朝(英語 Artuqid Dynasty)はディヤール・バクルを11世紀から15世紀にかけて支配した王朝。 == 概要 == アルトゥク朝はオグズ族系トゥルクマーンによるセルジューク朝系アタベク政権であり、ディヤール・バクル(ディヤール・バクルは地方名。今日のディヤルバクルの街はアーミドという)などクルディスターンあるいは北部ジャズィーラを11世紀から15世紀にかけて支配した。アルトゥク朝はマリク・シャーのもとで働いた始祖アルトゥクが南クルディスターンに領地を得て以降、この地域を本拠地として前サファヴィー朝・オスマン朝期に至る長い期間、独立あるいは半独立王朝を築いている。 初期の一時期には、アルトゥクの子イル・ガーズィーやスクマーン、バラクがシリアに進出し、一時期はアレッポを獲得している。この時期はちょうど第一回十字軍の到来にあたっており、彼らはそれぞれ十字軍との戦いに勝利し、最初期の聖戦の英雄として名高い。 ただしアルトゥク朝のシリアへの関与は12世紀はじめの約20年間であり、大部分の時代、アルトゥク朝はディヤール・バクルの群小地方政権であった。アナトリアへの入口ディヤール・バクルにおけるアルトゥク朝の存在は、トゥルクマーンの断続的なアナトリアへの流入に大きな影響を与えている。またアナトリア東部山岳地帯は、アルメニア、グルジアや単性論キリスト教徒、トゥルクマーン、クルドなど宗教的民族的に非常な多様性を示す地域であるが、この地域におけるアルトゥク朝などの群小諸勢力の興亡が繰り返される状況が長く続いたことが、今日に至る地域の特徴を規定しているともいえる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルトゥク朝」の詳細全文を読む
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