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アルト・ロペス(Arturo "Art" López Rodríguez , 1937年5月8日 - )は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手(外野手)。 == 来歴 == にニューヨーク・ヤンキースと契約。にメジャー初昇格を果たし、同年は38試合に出場するものの目立った成績は残せず、メジャーに昇格したのは同年の1シーズンのみに終わった。 に来日し、東京オリオンズに入団。このとき、オリオンズはヤンキースのスター選手で1966年限りで引退したヘクター・ロペス(Héctor López)と契約したと勘違いしていた。ヘクター・ロペスは右投右打であるが、ハワイ・マウイ島の春季キャンプに現れたロペスは左投左打で、全く別人であることが判明〔。しかしオリオンズは「ダメだったらすぐにアメリカに帰せばいいから」とそのまま入団させた。 開幕戦でいきなり決勝タイムリー三塁打を放つ。オールスターゲーム第1戦では、オールスターゲーム史上初となる先頭打者初球本塁打を記録〔この試合は江藤慎一サヨナラ本塁打で終わっているが、先頭打者初球本塁打で始まり、サヨナラ本塁打で終わった例としては、当時、シーズン公式戦においても1938年の1例(参照)のみの記録。出典 講談社刊 宇佐美徹也著『プロ野球記録大鑑』P430〕。この年の成績は打率.289、本塁打23本であった。狭い東京スタジアムの外野スタンドフェンスぎりぎりに本塁打を打つ技術を心得ていて〔『日本プロ野球歴代名選手名鑑』395ページ〕、入団から4年連続で本塁打20本以上を記録。さらに2年目のからは3年連続で打率3割を記録するなど、外国人選手として同じ年に入団したジョージ・アルトマンとクリーンナップを組んで活躍した。中でも、には打率.313、本塁打21本を記録してリーグ優勝に貢献。その活躍ぶりが認められて、オリオンズの球団オーナーであった永田雅一に可愛がってもらっていたが、永田はいつも「ペロス」と呼び間違えていたという。 に東京オリオンズ監督の大沢啓二のチーム改革により、外山義明とトレードの形でヤクルトアトムズに移籍。移籍を伝えられた際、ロペスは大沢に対して「ハートが冷たいよ」と日本語で言ったという。東京スタジアムに比べて広い神宮球場では本塁打数が落ち、広い外野で守備の拙さも目立つようになるなど〔、オリオンズ時代ほどの活躍はできず、限りでヤクルトを退団して帰国した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルト・ロペス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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