翻訳と辞書
Words near each other
・ アルト・ペルー
・ アルト・ラツィオ原子力発電所
・ アルト・ラプソディ
・ アルト・ラプソディー
・ アルト・ロペス
・ アルトー
・ アルトーニェ
・ アルト歌手
・ アルト記号
・ アルド
アルドゥイーノ2世
・ アルドゥイーノ・ディヴレーア
・ アルドゥス・マヌティウス
・ アルドゲイト駅
・ アルドゲート駅
・ アルドステロン
・ アルドステロン エスケープ
・ アルドステロン分泌
・ アルドステロン抑制試験
・ アルドステロン拮抗薬


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アルドゥイーノ2世 : ウィキペディア日本語版
アルドゥイーノ2世[あるどぅいーの2せい]
アルドゥイーノ2世(Arduino II) または、アルディチーノ (Ardicino) は、999年から1015年までのイヴレーア辺境伯(侯)で、後にイヴレーア伯となった。
イタリア王となったアルドゥイーノ1世とミラノ辺境伯オベルト2世の娘ベルタ(エステ家)との息子で、父親が999年に教皇シルウェステル2世から破門された後、イヴレーア辺境伯の地位に就いたとみられる。
父の死後、イヴレーア辺境伯領は多くの伯領に分割され、アルドゥイーノとその兄弟オットーネとグイベルトはオルデリーコ・マンフレーディ2世をイヴレーア辺境伯と認め、アルドゥイーノにはイヴレーア伯の称号が与えられた。
1036年、アルドゥイーノはベルガモ領南部に対する勢力を強化し、クレモナのウバルド司教からベルガモの南部を獲得した。
アルドゥイーノはトスカーナ辺境伯ウーゴ(ボゾン家)の娘ウィラと結婚した。彼の子孫は、カステッラモンテや、フロンテ、カステルヌオーヴォ伯といった、カナヴェーゼ地方における異なる伯爵家系へと分化していった。それらの家系はストランビーノのサン・マルティーノ、サンマルティーノのロレンツァート、パレッラのサン・マルティーノ、サンマルティーノのペッローネ、マジーノのヴァルペルガなどである。
==参考文献==

*AA.VV., ''Enciclopedia biografica universale''. Treccani edizione 2006年.
*Gabiani N., ''Asti nei principali suoi ricordi storici vol 1, 2,3.'' Tip.Vinassa 1927年-1934年



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルドゥイーノ2世」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.