翻訳と辞書
Words near each other
・ アルノルト・シェーンベルク
・ アルノルト・シュリック
・ アルノルト・シュヴァスマン
・ アルノルト・シュヴァルツェネッガー
・ アルノルト・ゾンマーフェルト
・ アルノルト・ツヴァイク
・ アルノルト・ドイチュ
・ アルノルト・ハウザー
・ アルノルト・ヒュプナー
・ アルノルト・ヒューブナー
アルノルト・ビュッシャー
・ アルノルト・ファンヘネップ
・ アルノルト・ファン・エフモント
・ アルノルト・ファン・ヘネップ
・ アルノルト・フェルスター
・ アルノルト・ブルッヒンク
・ アルノルト・ブローネン
・ アルノルト・ベックリン
・ アルノルト・ホウブラーケン
・ アルノルト・ヤンセン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アルノルト・ビュッシャー : ウィキペディア日本語版
アルノルト・ビュッシャー
アルノルト・ビュッシャー(Arnold Büscher、1899年12月16日1949年8月2日)は、ナチス・ドイツ強制収容所の看守。
== 略歴 ==
レーメ(:de:Rehme)出身。第一次世界大戦に出征し、二級鉄十字章を叙勲した。戦後、ナチ党親衛隊に入隊。ナチ党員番号556,757。親衛隊員番号は11,862。親衛隊における最終階級は親衛隊中尉(SS-Obersturmführer)。
1939年から1941年にかけてはザクセンハウゼン強制収容所に勤務し、1941年にはブーヘンヴァルト強制収容所に勤務していた。1944年9月にアーモン・ゲートの後任としてクラクフ・プワシュフ強制収容所の所長に就任。クラクフ・プワシュフ強制収容所の撤収作業を指揮した。この後、ノイエンガンメ強制収容所に勤務した。
戦後、連合軍に逮捕されてポーランドへ移送され、クラクフ・プワシュフ強制収容所所長としての行為について裁判にかけられた。囚人ミーテク・ペンパーによると彼の在任期間は短く、特に残虐行為はなかったという〔ミーテク・ペンパー著『救出への道 シンドラーのリスト 真実の歴史』229ページ〕。にもかかわらずポーランドの裁判所は彼に死刑判決を下し、1949年にビュッシャーは絞首刑に処されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルノルト・ビュッシャー」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.