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アルノルト・ロゼ : ウィキペディア日本語版
アルノルト・ロゼ

アルノルト・ヨーゼフ・ロゼArnold Josef Rosé, 1863年10月24日ヤシ- 1946年8月25日ロンドン)はルーマニア出身でオーストリアで活躍したユダヤ系ヴァイオリニストで、アルマ・ロゼ Alma Rosé の父。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターを57年に渡って務め(65歳で定年となる現在ではこの記録が破られることはない)、ロゼ四重奏団を主宰した。日本ではしばしば「ロゼー」と表記される。
==生涯==
モルダヴィアヤシにローゼンブルーム Rosenblum として生まれる。7歳の頃から音楽教育を受ける。その才能がウィーンの名教師であったカール・ハイスラーの目に留まり、10歳の時にウィーン国立音楽院への入学を許される。
1881年から1938年までの長きにわたりウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルの第1コンサートマスターとして君臨した。また弦楽四重奏団(ロゼ四重奏団)を組織し、1890年11月11日には、ブラームス弦楽五重奏曲第2番を初演した。1902年3月11日(10日とする資料もある)にマーラーの妹・ユスティーネと結婚。1909年から1924年まではウィーン音楽アカデミーの教授も勤めた。
しかし、ナチの台頭とオーストリア併合はロゼの立場を一気に激変させた。オーストリア併合後、ロゼは直ちにコンサートマスターの地位を追われ国外追放処分を受け、ロンドンに逃れた。娘のアルマはゲシュタポに逮捕され、アウシュビッツで悲劇的な死を遂げた。ロゼはナチ第三帝国の崩壊をロンドンで見届け亡くなった。
ウジェーヌ・イザイ曰く、「ロゼがソリストとして躍進を遂げなかった事は、他の全てのヴァイオリニストにとっては幸運であった」とあるように、ロゼはコンサートマスターとしての力量もさることながら、ソリストとして独り立ちしていたならば、世界有数のヴァイオリニストになっていた可能性もある。しかし、実際にはソリストとしての道もありながら、最終的にはソリストとしての可能性を自ら捨て、世界最高峰のオーケストラと四重奏団のトップとしてその座に君臨し続けた(ただし歴史に翻弄されて、生涯その地位を全うすることは叶わなかった)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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