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アルノー・クレマン : ウィキペディア日本語版
アルノー・クレマン

アルノー・マルセル・モーリス・クレマン(Arnaud Marcel Maurice Clément, 1977年12月17日 - )は、フランスエクス=アン=プロヴァンス出身の男子プロテニス選手。2001年全豪オープン男子シングルス準優勝者。2007年ウィンブルドン男子ダブルスで、同じフランスミカエル・ロドラと組んで初優勝した。自己最高ランキングはシングルス10位、ダブルス8位。ATPツアーでシングルス4勝、ダブルスで2007年ウィンブルドンを含む12勝を挙げた。身長173cm、体重73kgで、男子プロテニス選手としてはやや小柄な体格である。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
== 選手経歴 ==
オールラウンド・タイプの多いフランス人選手の中でも、クレマンはグラウンド・ストローカー寄りのテニスを展開する。特にバックハンド・ストロークが飛び抜けて強力で、またリターンにも優れたものを持っている。必ず頭に巻くバンダナと、テニス選手には珍しいサングラスが彼のトレードマークである。
1996年にプロ入り。クレマンが最初に世界的な名声を獲得したのは、2000年全米オープン2回戦で第1シードのアンドレ・アガシを 6-3, 6-2, 6-4 のストレートで圧倒した時だった。クレマンはこの勝利で波に乗り、レイトン・ヒューイットとの準々決勝まで進出した。2001年全豪オープンで、クレマンは準決勝で同じフランスセバスチャン・グロジャンと激突する。ダブルスでペアも組む親友を 5-7, 2-6, 7-6, 7-5, 6-2 の逆転で破って決勝に進出し、そこで再びアガシと顔を合わせた。この度はアガシが絶好調で、クレマンは 4-6, 2-6, 2-6 のストレートで完敗した。決勝戦の前には(対アガシ戦の)「勝ち方を覚えた」と意気込んだクレマンだったが、準優勝に終わった後は「きょうのアガシに勝つのは不可能」と話したという。当時30歳のアガシにとっては、これは15年間の現役生活を通じて初の4大大会連覇だった。
2004年全仏オープン1回戦で、アルノー・クレマンは同じフランスファブリス・サントロと当時の「テニス史上最長試合」を戦った。試合時間「6時間33分」に及んだ死闘で、クレマンは 4-6, 3-6, 7-6, 6-3, 14-16 でサントロに敗れる。勝者のサントロは3回戦まで進出した。(この記録は2010年ウィンブルドン選手権ジョン・イスナーニコラ・マユによって大幅に更新された。)2006年2月、クレマンは地元フランスマルセイユの大会で3年ぶりのツアー優勝を果たし、決勝でクロアチアマリオ・アンチッチを破った。7月最終週にアメリカワシントン大会の決勝で、クレマンはイギリスの新星アンディ・マリーを 7-6, 6-2 で破り、自身初のシングルス年間2勝を達成した。
2006年から、クレマンはダブルスでミカエル・ロドラと組んで試合に出場することが多くなった。2001年全豪オープン男子シングルス準優勝から6年後、クレマンとロドラは2007年ウィンブルドン男子ダブルス決勝に進出する。2人は決勝で第1シードのマイク・ブライアン&ボブ・ブライアン組(「ブライアン兄弟」は双子の兄弟ペア)を 6-7, 6-3, 6-4, 6-4 で破り、クレマンはウィンブルドンの地で初めての4大大会タイトルを獲得した。クレマンとロドラは2008年全豪オープン男子ダブルスでも決勝に進んだが、イスラエルペアのアンディ・ラム&ジョナサン・エルリック組に 5-7, 6-7 で敗れて準優勝になっている。同年の北京五輪で、ロドラとクレマンは男子ダブルス準決勝でスウェーデンシーモン・アスペリン&トーマス・ヨハンソン組に 6-7, 6-4, 17-19 で競り負け、準決勝敗退ペア2組による「銅メダル決定戦」に回った。2人は銅メダル決定戦でアメリカボブマイクのブライアン兄弟組に 6-3, 3-6, 4-6 で逆転負けを喫しし、男子ダブルスのメダルを逃した。
2008年ウィンブルドンで、クレマンは初めてシングルスのベスト8に入った。準々決勝のライナー・シュットラードイツ)戦は、雨天順延のため2日がかりの試合となった。クレマンはシュットラーに 3-6, 7-5, 6-7, 7-6, 6-8 の激戦で敗れ、準決勝進出を逃した。(シュットラーも全豪オープン準優勝者で、クレマンの2年後の2003年アガシに敗れた選手である。)
クレマンは2012年ウィンブルドン選手権を最後に現役を引退した。2013年からギー・フォルジェに替わりデビスカップのフランス・チーム代表監督に就任することが発表された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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