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アルファロメオ・2000/2600(Alfa Romeo 2000/2600)はイタリアの自動車メーカー・ アルファロメオが1957年から1968年まで生産した大型乗用車である。当初はアルファロメオ・2000(セリエ102)として登場、1961年にエンジンが6気筒2600ccに拡大され、アルファロメオ・2600(セリエ106)に発展した。2600はアルファロメオ最後の直列6気筒エンジン搭載車となった。 ==概要== ===2000(1957年-1961年)=== 第二次世界大戦後のアルファロメオを支えた同社初の量産乗用車であったアルファロメオ・1900の後継車として、1957年のトリノ自動車ショーで発表された。当初は自社デザインの4ドア6人乗りセダン(ベルリーナ)と、カロッツェリア・トゥーリングがボディ架装を担当する2ドア2シーターのスパイダーの2種が用意され、前者にはDOHC1972cc105馬力、後者には115馬力エンジンが搭載された。このエンジンは1950年に登場した1900のものの拡大版であった。 1960年には2ドアクーペの「スプリント」が追加された。ボディ架装はベルトーネが担当したが、デザインは同車のチーフスタイリスト、わずか23歳のジョルジェット・ジウジアーロの作品であった。彼のデザインによる生産車としては初期のものであるが、1960年代半ば以降のアルファロメオ・ジュリア系のGT(セリエ105系)にも共通するシンプルかつエレガントな造型を特徴とした。 1962年に2600に発展したため、2000の生産期間は短く、2,814台のベルリーナ、3,443台のスパイダー、704台のスプリントが生産されたに過ぎない。注目されるのはアメリカ車的で鈍重なベルリーナよりも2座席のスパイダーの方が多数生産されたことで、高級乗用車としてよりもスポーティーとして市場に認知されていたことが伺える。実際、イタリアのプレステッジカー市場はV6・2500ccエンジンを搭載するランチア・フラミニアが握っており、ローマ教皇・イタリア大統領の公用車、駐日大使を含む在外公館の公用車の多くがフラミニア・ベルリーナであった。 なお、ベルリーナはブラジルのFNM社で1961年から現地生産され、車体をアルフェッタ風に改め、エンジンを2,300ccに拡大するなどして、1970年代末まで同国のプレスティッジカーとして生産された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルファロメオ・2000/2600」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Alfa Romeo 2600 」があります。 スポンサード リンク
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