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アルファ・コンデ(、1938年3月4日 - )は、ギニアの政治家。現在、同国大統領。 マリンケ人(マンディンゴ人)。(RPG、ギニア人民結集党とも)党首。2010年11月に行われたギニア初の民主的大統領選挙において52.52%の票を獲得し、大統領に当選した。 == 経歴 == 1938年にフランス領ギニア西部のボケで生まれ〔"Alpha Condé, l'opposant de toujours à tous les régimes en Guinée" , AFP, 15 November 2010 .〕、ギニアの反体制派としてフランスへと亡命しパリ大学で政治学教授を務めた。1993年にランサナ・コンテ大統領が複数政党制を導入し大統領選挙を実施すると、コンデは帰国し出馬したが、コンテの得票51.7%に対し、コンデは19.6%の得票で敗れた。次いで1998年の選挙にも出馬したが、コンテの56.1%、ママドゥ・ボイェ・バの24.6%に次ぐ3位に終わった。 同年12月16日、コンデは政府によって反政府暴動の計画および不法出国の準備をしたとの理由で逮捕された〔Englebert, Pierre. (2006) Guinea: recent history. In ''Africa south of the Sahara 2006'', 35th ed. London: Routledge.〕 。コンデの裁判は1999年9月に開始される予定であったが、2000年の4月にまでずれこんだ。この裁判は9月中旬に結審し、コンデは懲役5年の判決を受けた〔Englebert, Pierre. (2006) Guinea: recent history. In ''Africa south of the Sahara 2006'', 35th ed. London: Routledge.〕 。しかし、2001年5月にはコンテ大統領によって恩赦を受け、政治活動の停止を条件に釈放された。釈放後コンデはフランスへと出国したが、2005年4月には再びギニアへと戻った。 2008年12月23日にコンテ大統領が死去すると同時にムサ・ダディス・カマラ大尉によるクーデターが発生し、ギニアは(、CNDD)による軍事政権となった。コンデは軍事政権のメンバーと面会し、クーデターは愛国者によるものであるとして一定の評価を与えたが、その後カマラ政権はコンデを批判し、コンデも独裁化するカマラ政権に批判を強めていった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルファ・コンデ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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