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アルフォンソ8世 : ウィキペディア日本語版
アルフォンソ8世 (カスティーリャ王)[あるふぉんそ8せい]

アルフォンソ8世(Alfonso VIII, 1155年11月11日 - 1214年10月5日)は、カスティーリャ(在位:1158年 - 1214年)。高貴王(el de las Navas)と呼ばれる。サンチョ3世の子で、母はナバラ王ガルシア6世の娘ブランカ
幼少で即位したため、治世前半は内紛に苦しめられたが、アラゴン王国と同盟関係を結ぶことでその窮地を脱した。
治世後半はムワッヒド朝に対するレコンキスタ(領土回復運動)に尽力する。1195年、アルフォンソ8世は軍を率いてムワッヒド朝と戦ったが、同朝のアミールヤアクーブ・マンスールの前にアラルコスの戦いで大敗してしまった。しかも同年、その敗戦につけこんだ従弟のレオン王アルフォンソ9世の攻撃を受けたが、これは何とか撃退している。
1198年、名君と謳われたマンスールが病死し、暗愚のムハンマド・ナースィルが後を継ぐと、アルフォンソ8世はムワッヒド朝に対してレコンキスタで優位に立った。そして1212年ラス・ナバス・デ・トローサの戦いアラゴン王ペドロ2世、ナバラ王サンチョ7世と協力してナースィルに大勝し、イスラム勢力に対するレコンキスタの優位を確立したのである。内政においても、1208年パレンシアスペイン初となる大学を建立している(パレンシア大学)。1214年の死後、ブルゴスサンタ・マリア・デ・ラス・ウエルガス王立修道院に埋葬された。王位は末子のエンリケ1世が継いだ。
== 子女 ==
王妃はイングランド国王ヘンリー2世アリエノール・ダキテーヌの次女レオノール。2人の間に12人の子が生まれ、4人の娘はアラゴン、レオン、ポルトガル、フランスへ嫁いだ。
*ベレンゲラ(1180年 - 1246年):レオン王アルフォンソ9世妃、カスティーリャ女王
*サンチョ(夭折)
*サンチャ(夭折)
*マファルダ(1183年? - 1184年)
*ウラカ(1186年 - 1220年):ポルトガル王アフォンソ2世
*ブランカ(1188年 - 1252年):フランス王ルイ8世
*フェルナンド(1189年 - 1211年)
*コンスタンス(夭折)
*レオノール(1200年 - 1244年):アラゴン王ハイメ1世
*コンスタンス(夭折)
*エンリケ1世(1204年 - 1217年)
三女ブランカはフランス王ルイ9世の母であり、長女のベレンゲラはカスティーリャ王フェルナンド3世の母であるため、両王は共にアルフォンス8世の孫で、互いに従兄弟の関係である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルフォンソ8世 (カスティーリャ王)」の詳細全文を読む



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