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アルフレッド大王(Alfred the Great、古英語ではÆlfred、849年 - 899年10月26日〔『アングロ・サクソン年代記』「パーカー写本」901年の項には諸聖人の日の6日前に没したと書かれているので10月26日に没したと思われる。〕、在位:871年 - 899年)は、イングランド七王国のウェセックス王。兄エゼルレッド王の死後、王位を継いだ。妃はエアルフスウィス(''Ealhswith'')(エアルスウィス、''Ealswith'')〔七王国のひとつマーシア王国のオファ王の玄孫にあたる。これに関してはEadburga Beortricsdotter の祖父のOffa of Merciaと孫のEalswith van Gainas(夫はAlfred the Great)を参照。〕。 アングロ・サクソン時代最大の王とも称せられ、イギリスの歴史において大王と称される君主である。 また、海上で敵を迎え撃ち、上陸を阻止するための海軍力の適正運用を行った初めての君主として、しばしば英国海軍の父と称される〔ロモラ&R.C.アンダーソン著、松田常美訳『帆船:6000年の歩み』成山堂書店、1999年。ISBN 4425953215、p.45.〕。 ==即位まで== 849年、バークシャー地方の王領ウォンティジ〔アッサーの記述によるとこの地名は黄楊の樹木が繁茂するベロックの森にちなんでいる。〕にてウェセックス王エゼルウルフとオズバルガの間に五男として生まれた。祖父母はエグバートとレドブルガである。 853年、幼少ながらエゼルウルフによってローマへ送り出され、当時の教皇レオ4世に謁見した。レオ4世はアルフレッド少年に塗油し、堅信礼を施したという。855年には父エゼルウルフとともにローマを再訪した〔853年の訪問後ウェセックスへ帰らずにそのままローマに残っていたという説もある。〕。なお、この二度目訪問の帰途、エゼルウルフは立ち寄った西フランク王国でシャルル禿頭王の娘ユーディスと再婚を為している。 エゼルウルフ王の死去後、3人の兄たちが次々と王位に就いたがいずれも短命に終わり、871年に王位を継ぐと、侵攻してくるデーン人と持病(:おそらくクローン病による痔瘻)に苦しめられながらも、死去する899年までの約28年間ウェセックス王国を治めた。最終的にアルフレッドはウェールズの南部からデーンロウを除くイングランドのほぼ全域を支配し、全アングロ・サクソン人の王となった。 死後、聖公会・カトリック教会・正教会で聖人となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルフレッド大王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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