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アルベルト・バッサーマン : ウィキペディア日本語版
アルベルト・バッサーマン

アルベルト・バッサーマン(Albert Bassermann, 1867年9月7日 - 1952年5月15日)は、ドイツ俳優
== 経歴 ==

マンハイムに生まれ、化学に関する高等教育を受けたが、1887年にマンハイムの劇場でボランティアスタッフとして参加したことから演劇を志し、俳優としての活動を始めた。その後マイニンゲンの劇場に4年間在籍してからベルリンに移る。1909年からはマックス・ラインハルトなどの下、ドイツ劇場で1915年まで研鑽を積んだ。
1913年からは数多くのサイレント映画に主役級で出演。1934年オーストリア・トビス社製作の音楽映画『恋は終りぬ』で主演の田中路子を慕う老教授役で日本でも知られるところとなった。しかし、1908年に結婚していた妻で女優のエルぜ(本名:エリザベート・ザラ・シフ、Elisabeth Sara Schiff)がユダヤ系であったことからナチス政権に女優活動を制限され、家族でスイスオランダ・オーストリアを転々としたのち、1938年3月13日に家族を伴いオーストリアから渡米。アクセントの強い英語を武器にした性格俳優として映画・舞台で活躍した。
戦後、再び欧州へ戻り、ウィーンの国民劇場でナチス・ドイツの犠牲者へ捧げる公演であったヘンリック・イプセンの『幽霊』へも出演した。その後もいくつかの作品に客演したが、1952年にニューヨークからチューリッヒへ向かう機内で心臓発作を起こし、妻の腕に抱かれたまま亡くなった。マンハイム墓地の名誉墓碑の下に葬られている〔http://www.friedhof-mannheim.de/historische-grabstaetten/#b〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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