翻訳と辞書
Words near each other
・ アルベルト・フローリアーン
・ アルベルト・ブエノ
・ アルベルト・ブッリ
・ アルベルト・ブニャク
・ アルベルト・ブルゼフスキ
・ アルベルト・ブロッホ
・ アルベルト・プリンツ・フォン・トゥルン・ウント・タクシス
・ アルベルト・プレスマン
・ アルベルト・プーチ
・ アルベルト・ヘイン
アルベルト・ベラサテギ
・ アルベルト・ホフマン
・ アルベルト・ホルケラ
・ アルベルト・ボティア
・ アルベルト・ボルマン
・ アルベルト・ポボル
・ アルベルト・マルコス・レイ
・ アルベルト・マルト
・ アルベルト・マレザーニ
・ アルベルト・マンゲルスドルフ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アルベルト・ベラサテギ : ウィキペディア日本語版
アルベルト・ベラサテギ

アルベルト・ベラサテギAlberto Berasategui, 1973年6月28日 - )は、スペインビルバオ出身の男子プロテニス選手。1994年全仏オープン男子シングルス準優勝者。シングルス自己最高ランキングは7位。ATPツアーでシングルス14勝、ダブルス1勝を挙げた。彼のテニスは、とりわけラケットの握り方(グリップ)に大きな特徴があり、極端に厚いグリップ(テニスの専門用語で、ラケットを地面と平行に並べて上からかぶせるように握るウエスタングリップのこと)から繰り出される独特なフォアハンド・ストロークを最大の武器にした(他の選手との違いを強調するために、エクストリーム・ウエスタン(極端なウエスタン)・グリップと呼ばれた)。
== 選手経歴 ==
7歳からテニスを始め、1991年にプロ入り。1993年ブラジルサンパウロの大会でツアー初優勝。1994年全仏オープン男子シングルスで、ベラサテギは世界ランキング23位のノーシードから決勝まで勝ち上がった。その過程では2回戦でセドリック・ピオリーン、3回戦でエフゲニー・カフェルニコフ、準々決勝でゴラン・イワニセビッチを破ってきた。決勝戦ではベラサテギと大会前年優勝者セルジ・ブルゲラによる、テニス4大大会史上初の「スペイン対決」が実現した。スペイン国王フアン・カルロス1世も観戦した決勝で、ベラサテギはブルゲラに 3-6, 5-7, 6-2, 1-6 のスコアで敗れて準優勝に終わった。ブルゲラはこの勝利で全仏オープン2連覇を達成する。この快挙は、ベラサテギが21歳の誕生日を迎える3週間前の出来事だった。これで波に乗ったベラサテギは、男子ツアーで一気に7つのシングルス・タイトルを獲得した。
その後、ベラサテギは1996年にツアーで年間3勝を記録する。同年3月下旬のモロッコカサブランカ大会の1回戦では、ウルグアイマルセロ・フィリピーニデュース「28回」のゲームを繰り広げたこともあった。(この試合は 6-2, 6-3 でベラサテギが勝った。)1998年全豪オープンで活躍し、3回戦で1997年全米オープン優勝者のパトリック・ラフターを破ったが、準々決勝でチリマルセロ・リオスに 7-6, 4-6, 4-6, 0-6 で敗れた。同年4月にポルトガルエストリルの大会でツアー14勝目を挙げたが、これがベラサテギの最後のツアー優勝になった。
1999年頃から、彼のテニス成績は下降線をたどり始める。最後のツアー大会決勝戦は、1999年10月第1週のイタリアパレルモ大会で、フランスアルノー・ディ・パスカルに 1-6, 3-6 で敗れた。アルベルト・ベラサテギは2001年4月、地元スペインバルセロナの大会での1回戦敗退を最後に現役を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルベルト・ベラサテギ」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.