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アルミン・プリンツ・ツア・リッペ(Armin Prinz zur Lippe, 1924年8月18日 -2015年8月20日 )は、ドイツの旧諸侯リッペ侯家の家長(1949年 -2015年 )。全名はアルミン・レオポルト・エルンスト・ブルーノ・ハインリヒ・ヴィーラ・アウグスト・プリンツ・ツア・リッペ (Armin Leopold Ernst Bruno Heinrich Willa August Prinz zur Lippe)。 最後のリッペ侯レオポルト4世とその2番目の妻でイーゼンブルク=ビューディンゲン侯ブルーノの娘であるアンナ(1886年 - 1980年)の一人息子として、父が退位した後の1924年にデトモルトで生まれた。1947年、レオポルト4世はエルププリンツ(Erbprinz, 侯世子)だった長男エルンスト・レオポルトを始めとする、先妻との間に生まれていた3人の息子を、いずれも父の意に反して国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)への入党や貴賤結婚をしたことを理由に廃嫡し、末息子のアルミンを後継者に指名した。アルミンは1949年、父の死に伴いリッペ家の家督を継いだ。 アルミンは家督相続と同時に「フュルスト・ツア・リッペ」(Fürst zur Lippe, リッペ侯)を自らの姓として使用しようとしたが、こうした問題を管轄するノルトライン=ヴェストファーレン州の内務省がこれに干渉してきた。州政府との協議の結果、リッペ家の当主は他の家族と同様、「プリンツ・ツア・リッペ」(Prinz zur Lippe, リッペ侯子)の姓に甘んじなければならなくなった。 アビトゥーア資格を取得後、第二次世界大戦に従軍し、戦後は占領軍の下で一時的に捕虜生活を送った。その後、ゲッティンゲン大学において自然科学を専攻し、1954年に植物生理学における貢献を認められて同大学より博士号を授与された。1953年3月27日、ゲッティンゲンにおいて生物学者のトラウテ・ベッカー(Traute Becker, 1925年 - )と結婚し、間に息子を1人もうけた。 家督相続以降、アルミンは旧リッペ侯国領内にある福音派教会、諸大学、文化財団などの名誉理事を務め、家族とともにデトモルト城で暮らした。1999年にはドイツ連邦共和国功労勲章一等功労十字章を授与されている。死後、家督は息子シュテファンが相続した。 == 子女 == 妻トラウテとの間に息子が1人ある。 *シュテファン・レオポルト・ユストゥス・リヒャルト(1959年 - ):1994年、伯爵令嬢マリア・ツー・ゾルムス=ラウバッハと結婚 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルミン・ツア・リッペ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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