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アルワード島(アルワッド島、アルワド島、Arwad、アラビア語:)は、東地中海のシリア沖に浮かぶ島。シリア第2の港湾都市・漁港であるタルトゥースの3km沖合にある。シリア唯一の有人島であり、アルワードの街が島の全体を占める。 別名ルアド島(Ruad)、旧名はアラド(Arado、ギリシア語:)、アラドス(Arados、ギリシア語:)、アルヴァド(Arvad)、アルパド(Arpad)、アルファド(Arphad)、ピエリアのアンティオキア()。 == 歴史 == ===フェニキア時代=== 紀元前2千年紀の初期、フェニキア人が島に住み始めた。フェニキアの支配下でこの島は「アルヴァド」(Arvad)または「ジャズィラット」(Jazirat、「島」を意味する)という名の独立王国となる。またこの街は、君主よりは人民が主権者である国と記録されており、共和国のもっとも古い例の一つとされている〔Bernal, p. 359〕。ギリシャ語では「アラド」()、「アラドス」()と呼ばれた。また古代の文書には「アルパド」や「アルファド」という名でも登場する〔Hazlitt, p. 53〕。 アラドはフェニキアの強国のひとつとなり、北のバニヤース付近までの海岸の諸都市を植民地とした。また本土側にも町が築かれたが、この対岸の小さな町はアラドにちなみアンタラドゥス(ラテン語の Anti-Aradus、「アラドゥスの向かい側」)と呼ばれ、これがタルトゥースの語源になっている。フェニキア時代のアンタラドゥスはアラド支配下の小さな町に過ぎなかった。 後に街はセレウコス朝の支配下に置かれ、アンティオコス1世(前281年-前261年)により「アンティオケイア・ティス・ピエリアス」(ピエリアのアンティオキア、)と改名された。アラド島はオロンテス川流域での商業活動の基地として重要であった。 旧約聖書にはこの島(アルワド)は二度言及されている。『エゼキエル書』では、預言者エゼキエルはフェニキアの都市ティルスのために嘆きの歌を歌うが、その前半のティルスの繁栄の部分に周囲の諸国とともにアルワドも登場する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アルワード島」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Arwad 」があります。 スポンサード リンク
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