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アル・クーパー(Al Kooper, 1944年2月5日 - )は、アメリカの作曲家・ミュージシャン・プロデューサー。本名、アラン・ピーター・クーパーシュミット(Alan Peter Kuperschmidt)。ボブ・ディランとの共演やブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ結成を経て、1969年よりソロ活動も行っている。 == 来歴 == ニューヨークのブルックリン区で生まれる。独学でピアノやギターを弾くようになり、1959年、ロイヤル・ティーンズにギタリストとして加入しプロ・デビューを果たした〔。その後はソングライターとして活動し、1964年にはボブ・ブラス及びアーウィン・レヴィンと共作した「」がのデビュー曲に起用され、同曲は翌1965年に全米1位を獲得〔。 1965年、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」のレコーディングを見学した際、現場でオルガンの演奏を提案し、飛び入りの形でセッションに参加。クーパーはこの時、マイク・ブルームフィールドとの出会いを果たしている〔。 その後、での活動を経て1967年にブラッド・スウェット・アンド・ティアーズを結成するが、ファースト・アルバム『子供は人類の父である』(1968年)のリリースから間もない1968年3月に脱退。同年にはマイク・ブルームフィールド、スティーヴン・スティルスと共にアルバム『スーパー・セッション』を制作し、更にブルームフィールドとの共演ライヴも行った。 1969年、初のソロ・アルバム『アイ・スタンド・アローン』をリリースし全米54位を記録〔Al Kooper | Awards | AllMusic 〕。その後も多くのソロ・アルバムを発表するが、デビュー作を超える商業的成功は得られなかった〔。 1972年にアトランタ市へ移住〔。1973年にはMCAレコードのサブ・レーベル「サウンズ・オブ・ザ・サウス」を設立し、レーナード・スキナードを世に出してサザン・ロック・ブームの一翼を担った。 1980年代以降は寡作となるが、2003年に初の日本公演を行い、2005年7月には11年ぶりの新作『ブラック・コーヒー』を発表した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アル・クーパー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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