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アル・パチーノ : ウィキペディア日本語版
アル・パチーノ

アル・パチーノAlfredo James “Al” Pacino, 1940年4月25日 - )は、アメリカ合衆国俳優映画監督脚本家日本語では当初、「アル・パーノ」と表記されていた〔榊原郁恵のシングル「アル・パシーノ+(たす)アラン・ドロン<(より)あなた」は、1977年発売。 〕。ニューヨークブロンクス出身。イタリア系アメリカ人。身長167cm。
映画『ゴッドファーザー』シリーズ、『スケアクロウ』、『狼たちの午後』、テレビドラマエンジェルス・イン・アメリカ』、シェイクスピア作品をはじめとする演劇などで、複数の受賞をしている。
== 経歴・人物 ==
シチリア移民の子として生まれるが、2歳の頃に両親が離婚し、少年時代は非常に貧しく不憫な生活を送る。若い頃はニューヨーク市内で自転車便やビルの清掃稼業、映画館のアルバイトなど様々な職業を渡り歩いていた。この頃に後々名コンビとして知られるジョン・カザールと親交を結んだ。26歳からリー・ストラスバーグ主宰のアクターズ・スタジオで演技を学んだ〔Grobel; p. xix〕。オーディションに行くためのバス代もないほど貧しかった時もあったが、次第に演劇で活躍していく。
1969年の映画『ナタリーの朝』でデビュー。1971年の『哀しみの街かど』でヘロイン中毒の青年を演じて注目され、フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』で、かねてから尊敬していた俳優であるマーロン・ブランドと親子役で共演。マイケル・コルレオーネ役は多くの俳優に衝撃と影響を与えており、パチーノに触発されて俳優を志した者は多く、ブルース・ウィリスは自身もその一人であることを表明している。『セルピコ』と『狼たちの午後』で主演を務める傍ら『ゴッドファーザー』の続編となる『ゴッドファーザー PART II』に主演。この頃、コッポラは岡田茂に「千葉真一とアル・パチーノの共演による映画を製作したい」とオファーしていたが、岡田は断っている。
1972年から1975年にかけて4年連続でアカデミー賞にノミネートされるが、アカデミー主演男優賞を獲得できなかった。賞狙いの過剰な演技が目立ち始め、業界関係者の反感を買い、『スカーフェイス』も、公開当時は大失敗作と評され、興行成績も振るわなかった。『スター・ウォーズ』のハリソン・フォードが演じたハン・ソロや、『クレイマー・クレイマー』においてダスティン・ホフマンが演じたテッド・クレイマーの打診を断っており、フォードは一躍トップスターへ、ホフマンはアカデミー主演男優賞を獲得し、一方のパチーノは1980年代後半から1990年代にかけ、その人気は下降。活動の場を演劇へ戻し、ウィリアム・シェイクスピアについての豊富な知識を基に、その作品に数多く出演。『リチャード三世』の映像化の過程を記録したドキュメンタリー映画リチャードを探して』を監督・主演した。
1989年に『シー・オブ・ラブ』で映画に復帰すると、『ディック・トレイシー』、『ゴッドファーザー PART III』に出演したが、それぞれの作品が評価されず、興行成績も振るわなかったものの、1992年の『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』で盲目の退役軍人を演じ、第65回アカデミー賞ではアカデミー主演男優賞と『摩天楼を夢みて』でのアカデミー助演男優賞と2つにノミネートされ、悲願であった主演男優賞を獲得した。
55歳を超えてからも『フェイク』、『インサイダー』などに出演。1994年にはヴェネツィア国際映画祭の経歴賞を、還暦を迎えた2001年には、ゴールデングローブ賞において生涯功労賞に相当するセシル・B・デミル賞を受賞。共演したジョニー・デップラッセル・クロウジェイミー・フォックスコリン・ファレルへも多大な影響を与え、2007年公開の『オーシャンズ13』ではジョージ・クルーニーブラッド・ピットマット・デイモンらとは対照的に助演に徹し、ホテルのオーナーを演じた。
初監督作品の『リチャードを探して』以降、自身の監督作も発表している。2000年には『チャイニーズ・コーヒー』、2011年にはオスカー・ワイルド作の戯曲「サロメ」の舞台制作の過程を描いたドキュメンタリー映画『ワイルド・サロメ』にて、ヴェネツィア国際映画祭Jaeger-LeCoultre Glory to the Filmmaker Award監督・ばんざい!賞)とクィア獅子賞を受賞した。
2012年には、『摩天楼を夢みて』がブロードウェイにて舞台化され、1992年の同作映画版で演じたリッキー・ローマではなくシェリー・レーヴィン役を演じ話題となった。また同年、全米芸術勲章(National Medal of Art)を授与された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アル・パチーノ」の詳細全文を読む



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