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アレクサンダル2世カラジョルジェヴィチ(, 1945年7月17日 - )は、ユーゴスラビア王国の最後の王太子。王制廃止後も「アレクサンダル王太子」の名で呼ばれている。 共産主義政権の崩壊後、ユーゴスラビア国家は民族主義の台頭によって解体したため、アレクサンダルは現在はセルビアにおける立憲君主制の樹立を提案しており、そのため「セルビア王太子アレクサンダル2世」を称するようになっている。 == 経歴 == 1945年7月17日、ロンドンのブルック通りにあるクラリッジス・ホテル212号室のスイート・ルームにおいて、亡命していたユーゴスラビア王ペータル2世とその妃のギリシャ王女アレクサンドラとの間の一人息子として生まれた。ユーゴスラビア王位継承者は同国内で誕生していることが王位継承の条件であったため、イギリス政府はこのスイート・ルームに対する主権を一時的に放棄し、ユーゴスラビアに割譲した。このためアレクサンダルは形式上はユーゴスラビア生まれということになる。 アレクサンダルの洗礼の代父母を務めたのはイギリス王ジョージ6世とその長女エリザベス王女(後のイギリス女王エリザベス2世)であった。アレクサンダルには中世セルビアの王家であったネマニッチ家の血も流れていた。両親は体調が思わしくなかったり、経済的な問題も抱えていたため、外祖母のアスパシア・マノスによって養育された。アレクサンダルはル・ロゼ校、、校、校、で教育された。1970年11月に父ペータル2世が死去すると、名目上のユーゴスラビア王位およびカラジョルジェヴィチ家の家長位を継承した。 1972年7月1日、ペトロポリス系のブラジル帝位請求者ペドロ・ガスタンの長女マリア・ダ・グロリアと結婚し、夫妻は間に3人の息子を儲けた。次男と三男は双子である。 * ペータル(1980年 - ) * フィリップ(1982年 - ) * アレクサンダル(1982年 - ) カトリック教徒と結婚したことで、アレクサンダルはイギリスのヴィクトリア女王の次男アルフレートの直系子孫として有していたイギリス王位継承権を喪失したが、もともと王位を継承する可能性はほとんどなかったため問題にならなかった。3人の息子たちは現在、イギリス王位継承順位ではそれぞれ95位、96位、97位である。 1985年にマリア・ダ・グロリアと離婚し、同年9月にギリシャ生まれのアメリカ人女性キャサリン・ベイティスと再婚した。キャサリンは現在、カタリナ王太子妃と名乗っている。 1991年、共産主義政権の崩壊後にアレクサンダルは初めてユーゴスラビアを訪問した。独裁的なセルビア大統領スロボダン・ミロシェヴィッチに反対する民主主義運動に協力し、ミロシェヴィッチが2000年に退けられると、イギリスからセルビアに帰国した。2001年3月、セルビア政府はアレクサンダルを家長とするユーゴスラビア王家の市民権を回復し、その財産を返却することを決めた。現在、ベオグラードの高級住宅街デディニェ地区にある旧王宮で、妻と3人の息子と一緒に暮らしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アレクサンダル2世カラジョルジェヴィチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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