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アレクサンダー・フォン・クールラント : ウィキペディア日本語版 | アレクサンダー・フォン・クールラント アレクサンダー・フォン・クールラント(Alexander Prinz von Kurland, 1658年10月18日 - 1686年6月28日 ブダ)は、ブランデンブルク=プロイセンの軍人。大選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの甥にあたる。「隻腕(''Der Einarmige'')」とあだ名された。 クールラント公ヤーコプ・ケトラーとその妻でブランデンブルク選帝侯ゲオルク・ヴィルヘルムの娘であるルイーゼ・シャルロッテの間の末息子として生まれた。母の実家ブランデンブルクの軍隊に仕えて陸軍大佐となり、1683年に新設されたクールラント歩兵連隊(''Regiment Kurland zu Fuß'')の連隊長に任命された。同連隊は後にアルトプロイセン第10歩兵連隊(Altpreußisches Infanterieregiment No. 10)として再編・改称された。連隊を率いて大トルコ戦争に従軍したが、ブダ包囲戦(Belagerung von Ofen)中の1686年4月26日に致命傷を負い、ウィーンへ移送される途中にショプロンの町を前にして死去した。27歳だった。 == 参考文献 ==
* Leopold von Zedlitz-Neukirch, ''Pantheon des Preussischen Heeres'', S.352, Digitalisat
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