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アンガモスの海戦 : ウィキペディア日本語版
アンガモスの海戦[あんがもすのかいせん]

アンガモスの海戦(アンガモスのかいせん)とは、南米の太平洋戦争中の1879年10月8日に、当時のボリビア領アンガモス岬沖でペルー海軍チリ海軍が戦った海戦である。チリ艦隊が、ペルー艦隊の装甲艦拿捕し、完全に制海権を確保する決定的勝利を収めた。
==背景==
イキケの海戦での損失の結果、チリ海軍との戦力差が拡大したペルー海軍は、チリ海軍との決戦を避けて通商破壊や沿岸砲撃などのゲリラ的な戦術を続けた。その中心はミゲル・グラウ大佐の率いる砲塔装甲艦「ワスカル」で、兵員300人を乗せた輸送船「リマック(Rimac)」を拿捕するなど大きな成果を上げた〔Correrías del Monitor Huáscar - チリ海軍公式より。(2009年7月2日閲覧)〕。その功績でミゲル・グラウは少将に昇進した。チリ側は「ワスカル」の脅威のため、上陸戦を行うことができないでいた。チリ海軍は「ワスカル」と幾度か戦闘したが、撃破することができずに逃げられてしまっていた。「ワスカル」による被害の責任を問われ、チリ海軍司令長官のフアン・レボエド(Juan Williams Rebolledo)少将は解任された〔。
1879年9月20日に、チリ海軍は占領地アントファガスタへ向けた兵員輸送を実施することになり、2群に分かれた護送船団を出航させた。第一戦隊はアルミランテ・コクレーン級装甲艦「ブランコ・エンカラダ」(艦長:ガルバリーノ・リベロス代将)とスクーナー砲艦「コバドンガ」が、輸送船「マチアス・コウジーニョ(Matias Cousiño)」を護衛した。第二戦隊はアルミランテ・コクレーン級装甲艦「アルミランテ・コクレーン」(艦長:フアン・ラトーレ中佐)、コルベット「オイギンス(O’Higgins)」、輸送船「ロア(Loa)」から構成された。その後10月1日、両戦隊に対して、今度はアリカ港に停泊中と思われるペルー艦隊攻撃の命令が下った。
同じ10月1日、装甲艦「ワスカル」とコルベット「ウニオン」、輸送船「リマック」からなるペルー艦隊は、アリカから出航した〔La Marina de Guerra en la República Siglo XIX - ペルー海軍公式より。(2009年7月2日閲覧)〕。ペルー艦隊はチリ艦隊とすれ違いに南下して、イキケで「リマック」を分離した後、チリの沿岸を襲撃した。またも「ワスカル」の捕捉に失敗したチリ艦隊は、アントファガスタに第一戦隊を、メヒリョネス(Mejillones)に第二戦隊を配置してペルー艦隊の帰途を待ち伏せすることにした。チリ艦隊は、ペルー艦隊を2個の戦隊で挟撃する作戦を立てていた。

File:Buque de Torre Huascar.jpg|ペルー海軍装甲艦「ワスカル」
File:BAP Unión.jpg|ペルー海軍コルベット「ウニオン」
File:BAP Rímac.jpg|ペルー海軍輸送船「リマック」


File:Fragata Cochrane.jpg|チリ海軍装甲艦「アルミランテ・コクレーン」
File:Blanco Encalada.jpg|チリ海軍装甲艦「ブランコ・エンカラダ」。
File:O'Higgins.jpg|チリ海軍コルベット「オイギンス」


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンガモスの海戦」の詳細全文を読む



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