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ポモリエ
ポモリエ(ブルガリア語:、ラテン文字転写:''Pomorie''、旧称はギリシャ語でアンヒアロス、、''Anchialos''、ラテン語でアンキアルス、Anchialus、ブルガール語でトゥトム、''Tuthom''、ブルガリア語でアンヒアロ、、''Anhialo''、トルコ語でアフヨル、)はブルガリア南東部、ブルガス州に位置する町で、黒海沿いのリゾート地。黒海岸のブルガス湾にある細い岩の半島の中にある。ブルガスから20キロメートル、サニー・ビーチから18キロメートルに位置している。塩分の強い潟湖であるポモリエ湖(、''Pomoriysko ezero''、en)はブルガス諸湖(Бургаски езера、''Burgaski ezera''、en)の北端に位置している。 ポモリエは古代都市であり、今日では重要な観光地となっている。位置はである。 == 歴史 ==
=== 古代ギリシャの植民地、ローマ帝国の拠点 === アンヒアロス(ポモリエ)は、おそらく紀元前5世紀から紀元前4世紀ごろ、アポロニア(Apollonia、現在のソゾポル)の植民地として建設されたと考えられ、その名前はストラボンの「''Geographica''」に小さな町として記載されている。紀元前2世紀、アンヒアロスは一時期メッセンブリア(Messembria、現在のネセバル)によって征服されたが、アポロニアによって再征服され、要塞化された壁は破壊された。アンヒアロスの名前は古代ギリシャ語の「anchi-」(近くに)と「als-」(塩、あるいは海を表す詩的な語)に由来している。紀元前72年-紀元前71年頃から始まったローマ帝国の攻勢の後、黒海西岸地域は紀元前29年から紀元前28年にかけて、マルクス・リキニウス・クラッスス統治下のローマ帝国によって完全に征服された。アンヒアロスの要塞化城壁はこの間に再び建造されたことが、トミス(コンスタンツァ)へ向かったオウィディウスによって紀元9年に明らかにされている。紀元1世紀初期、アンヒアロスはオドリュサイ王国(en)の戦略的拠点となり、ビザンティン帝国初期の歴史家プロコピウスによると6世紀にはトラキア人が居住していた。オドリュサイ王国の自治独立は紀元45年に停止され、アンヒアロスはローマ属州トラキアの一部となり、町は公式に皇帝トラヤヌスのものと宣言された。この頃、町はアウグスタ・トラヤナ(スタラ・ザゴラ)に接する広大な領地を支配し、西はトゥンジャ(Tundzha)、北はメッセンブリア、南はブルガス湖(en)にまで及んでいた。アンヒアロスはローマ都市の様相を呈し、特に2世紀から3世紀にかけてセウェルス朝の元で大きく栄え、トラキアで最も重要な輸出入の拠点として富を蓄えた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ポモリエ」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pomorie 」があります。
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