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アンジェルジェ家 : ウィキペディア日本語版
アンジェルジェ家[ふらんす]
アンジェルジェ家(フランス語:Ingelgeriens)は、ないしアンジュー家(フランス語:Première maison d'Anjou)は、カロリング帝国初期に創立したフランス貴族家系。10世紀から11世紀にかけてアンジュー伯位を継承した。
== 起源 ==

同家で最初に記録された人物は9世紀頃のアンジェルジェアンゲルガリウス)という名のフランク族の貴族である〔Vauchez, ''Encyclopedia of the Middle Ages'', 65.〕。後世、この一族の子孫は、アンジェルジェをテルチェル(トルチェルフ)とペトロニラの息子であると信じていた〔12世紀に書かれた''Gesta Consulum Andegavorum''には、彼の父親について''Tertullus nobilem dux''としている。しかし、Tertullus(テルチェル)という名も''dux''の身分も他では見られない。他の12世紀の文献''Chronicon Turonensis'' (1180年頃)ではアンジェルジェのことを''nepos Hugonis ducis Burgundiæ''(ブルゴーニュ公ユーグの甥/孫)としている。このユーグは年代的にユーグ黒公よりも、西フランク王ルイ2世およびルイ3世に影響を及ぼしたサン=ジェルマン修道院長ユーグ(:en:Hugh the Abbot古ヴェルフ家コンラート1世の子)ではないかと考えられている(後の文献ではこのユーグをカール大帝の子ユーグと混同しており、このためいくつかの19世紀の文献でもペトロニラをカール大帝の孫と誤って記載している)。最近の研究者はテルチェルとペトロニラについて史実ではないとしている。〕。877年頃、アンジェルジェは西フランクシャルル2世単純王が発行したキエルジィの勅令集により自身の領地を獲得した。これ等の中にはシャトー=ランドンの''聖職禄''が含まれており、アンジェルジェはガティネフランキアのcasatus(聖職禄などを給された不自由身分の家臣) であった。同時代の記録はアンジェルジェを''最適の兵士(ミレース・オプティマス)''つまり偉大なる軍人であると言及している〔Bernard S. Bachrach (1993), ''Fulk Nerra, the Neo-Roman Consul, 987 - 1040: A Political Biography of the Angevin Count'' (Berkely: University of California Press, ISBN 0 520 07996 5), 4 - 5.〕。
アンジェルジェは西フランク王ルイ2世によって、当時、オルレアン司教によって支配されていたオルレアン副伯(ヴィコント)に任命された〔 。オルレアンでアンジェルジェはアンボワーズの領主でネウストリアの有力者の一族で、トゥール大司教アダラルドゥス(アダラール)とアンジェ司教レギノを母方の叔父に持つエレンディス(Aelendis)と結婚した。後にアンジェルジェはトゥール知事(軍事守備)に任じられたが、当時そこは、アダラルドゥスによって統治されていた〔。
同時にアンジェルジェはアンジュー伯に任じられたが、当時伯領は最も西でマイエンヌ川までにしか伸びていなかった。後世の資料はアンジェルジェはヴァイキングから守備するために任じられたと記録しているが〔Anjou: Chapter 1. Comtes d'Anjou at''Foundation for Medieval Genealogy: Medieval Lands Project''.〕、近代以降の学者はアンジェルジェの妻の影響力のある親族のおかげらしいと見なしている〔。アンジェルジェはシャトーヌフ=シュル=サルト(en)の聖マルティヌス教会に埋葬され、息子のフルク1世(赤毛のフルク)が後を継いだ〔。アンジュー伯領は1060年ジョフロワ2世が嗣子無くして没するまで同家によって継承され、伯領はその後、ジョフロワ2世の甥(妹の息子)でガティネ伯ジョフロワの息子であるジョフロワ3世が継承した(ガティネ家)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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