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アンジェロ・マリアーニ : ウィキペディア日本語版
アンジェロ・マリアーニ

アンジェロ・マリアーニAngelo Mariani, 1821年9月11日 - 1873年6月13日)は、ラヴェンナに生まれ、ジェノヴァに没したイタリア人指揮者。
== 略歴 ==
生地の音楽院でヴァイオリンを学び、15歳のときヴァイオリニストとして音楽の道に入る。その後も和声作曲の勉強を続け、1843年マチェラータで正式にデビューした。作曲活動と音楽教師としての活動を続けながら、マチェラータ、ファエンツァナポリで転々と指揮活動をし、やがて、ジュゼッペ・ヴェルディジャコモ・マイアベーアジョアキーノ・ロッシーニリヒャルト・ワーグナーに絶賛されるなど指揮者として声価を確立した。ヴェルディ『アロルド』、フランコ・ファッチョアムレット』の初演、マイアベーア『アフリカの女』、ヴェルディ『ドン・カルロ』、ワーグナー『ローエングリン』のイタリア初演を手掛け、さらに1846年にミラノ・スカラ座音楽監督就任以降、ヴェルディ『二人のフォスカリ』『ナブッコ』の上演などで成功をおさめ、19世紀中葉のイタリアを代表する指揮者となる。1873年病没。スカラ座の後任にはかつてマリアーニが擁護したフランコ・ファッチョが就いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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