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アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウ(Anderson Bruford Wakeman Howe)は、イギリスのプログレッシブ・ロック・バンドである。略称はABWH。 == バイオグラフィー == 1980年代、イエス再結成後の活動に於いて、新メンバー、トレヴァー・ラビン(g, vo, key)のイニシアティヴによってコマーシャル化していったことに幻滅したジョン・アンダーソン(vo)が、1988年にイエスを脱退し、『こわれもの』や『危機』を発表した頃のような、1970年代にあった創造性を蘇らせようと当時のメンツを呼び寄せて結成したバンドである。 メンバーはジョン・アンダーソン、ビル・ブルーフォード(ds)、リック・ウェイクマン(key)、スティーヴ・ハウ(g)の4人で構成される。ベースにはキング・クリムゾンにおけるブルーフォードの盟友でもあるトニー・レヴィンを起用した。ラビンの良き理解者で80年代のイエスも是とする立場のクリス・スクワイア(b)は参加しなかった。マネージメントは1970年代にイエスのマネージメントをしていたブライアン・レーンである。アルバムのジャケットも1970年代のイエスの作品を描いていたロジャー・ディーンが起用された。 その他、サポート・メンバーとしてマット・クリフォード(key)、ミルトン・マクドナルド(g)が、アルバム収録曲の共作者としてヴァンゲリス、ジェフ・ダウンズ(エイジア)、マックス・ベーコン(元GTR)らのクレジットがある。 当初はイエスを名乗る予定であったが、バンド名のライセンスを保有していたのが不参加のスクワイアであり、アンダーソン脱退という不測の事態に見舞われたもののイエスは存続していたため、単純にメンバー名を並べたアンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウ(ABWH)にせざるを得なかった。 アルバムは1989年に1枚のみ『閃光』を発表している。また、そのライヴ・ツアーも行っており、『イエス・ミュージックの夜』(An Evening Of Yes Music Plus)というタイトルでCDと映像化がされている。このツアー・タイトルに「Yes Music」という文字が入っていたため、後にスクワイア側のイエス(通称 YesWest、ジョン・アンダーソンは9012バンドと呼んでいた)との間で裁判沙汰にまで発展した。しかし、アンダーソンがかねてより暖めていた「歴代メンバーを招集しての結成20周年ツアー」(実現までに3年かかったため、20周年ではなくなったが)というアイディアをかつては却下したスクワイア側も、順調とは言えなくなっていたイエスの活動を本格的に再開したいがために賛同せざるを得ず、イエスの名の下に両バンドが集うという形でABWHは幕を閉じた。この時にイエスの名義で発売されたアルバム『結晶』は、元はABWHのセカンド・アルバムとして録音がほぼ完了していた『ダイアログ』にスクワイア側のイエスの4曲を追加して再編集したものである。 補足: 『閃光』に参加していたキーボード奏者・マット・クリフォードはかつてリック・ウェイクマンの付き人だった人物で、スティーヴ・ハウが在籍していたGTRのライヴにサポート・メンバーとして同行していた人物である。映画『バタリアン』(1985年)の音楽を担当していたという経歴もある。1989年当時、数々のレコーディング・セッションに参加していた彼は、『閃光』の録音が終わると、ローリング・ストーンズのアルバム『Steel Wheels』のレコーディングに参加し、そのままローリング・ストーンズのワールド・ツアーにサポート・メンバーとして参加し、来日もしている。そのために、彼はABWHのツアーに参加できず、代打のサーポート・メンバーとしてツアーに参加したのは、スティーヴ・ハケットのバンドに参加していた経歴を持つジュリアン・コルベックである。 北米ツアー中、ベースのトニー・レヴィンが病気でダウンし、3回の公演のみ、元ブルーフォードのジェフ・バーリンが代打で演奏している。ライヴ・アルバム、ライヴ・ビデオとして発売されている公演がその時のジェフ・バーリンの演奏によるものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Anderson Bruford Wakeman Howe 」があります。 スポンサード リンク
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