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アンティオコス1世 : ウィキペディア日本語版
アンティオコス1世[あんてぃおこす1せい]

アンティオコス1世ソテル(、? - 紀元前261年)は、セレウコス朝シリアの王(在位紀元前291年または紀元前281年 - 紀元前261年)。セレウコス1世の子。
== 生涯 ==
紀元前291年頃より、父セレウコス1世からユーフラテス川東方諸州の王として共同統治者に任命された。父の暗殺で即位し(紀元前281年)、広大な領土の管理・都市建設に努めた。
シリアと北アナトリアの反乱を鎮圧し、マケドニア王アンティゴノス2世と交戦するが、ガリア人の侵入により同盟へ転換する(紀元前279年)。ガリア人の侵入を撃破した(紀元前275年)事で、小アジアのイオニア人諸都市より、救済王(ソテル)と称された。父王同様、都市建設とギリシャ人の入植活動を奨励したが、これは東方のパルティアやガリア人に対抗する上でも優れた政策であった上、ヘレニズム文化の拡大にも寄与した。
一方で父ほどの軍事的才能はなかったようで、エジプトのプトレマイオス2世と戦い、フェニキアと小アジアの海岸地域を奪われた(第一次シリア戦争紀元前274年 - 紀元前271年)。プトレマイオス2世と同盟したペルガモン王国との戦いにも敗北した(紀元前266年 - 紀元前261年)ために多くの領土を失い、失意の内に病死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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