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アンディ・ラム(ヘブライ語:, Andy Ram, 1980年4月10日 - )は、イスラエルの男子プロテニス選手。ウルグアイの首都モンテビデオに生まれる。ダブルスのスペシャリストとしてよく知られ、2008年の全豪オープン男子ダブルスで同じイスラエルのジョナサン・エルリックとペアを組んで優勝した。混合ダブルスでも2006年のウィンブルドンと2007年の全仏オープンで優勝があり、当地のテニス選手として最初の4大大会優勝者になった選手である。彼は普段からシングルスにはほとんど出場せず、エルリックとのダブルスのみに活動を絞っていた。ATPツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで2008年全豪オープンを含む19勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス187位、ダブルス5位。身長180cm、体重83kg、右利き。 == 来歴 == 5歳からテニスを始め、1998年にプロ入り。2000年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのイスラエル代表選手になり、2001年後半からダブルスでジョナサン・エルリックとペアを組み始めた。2002年は背中や膝などの故障で、年間4大会しか出場できなかったが、2003年からラムとエルリックのペアは男子ツアーのダブルスで活躍が増え始める。2人はこの年に年間3勝を挙げ、ウィンブルドン男子ダブルスでヨナス・ビョルクマン&トッド・ウッドブリッジ組との準決勝に進んだ。2人は2004年アテネ五輪の男子ダブルスにもイスラエル代表選手として出場し、ドイツ代表のニコラス・キーファー&ライナー・シュットラー組との準々決勝まで進出した。2005年は全米オープン男子ダブルスでベスト8進出がある。 2006年、アンディ・ラムはエルリックとのダブルスで年間4勝を挙げ、ウィンブルドンの混合ダブルスでベラ・ズボナレワ(ロシア)と組んで初優勝を飾った。ラムとズボナレワは、初めての決勝戦でボブ・ブライアン&ビーナス・ウィリアムズ組を 6-3, 6-2 で破り、ラムはイスラエル国籍のテニス選手として最初の4大大会優勝者に輝いた。同年11月、ラムとエルリックは世界ランキング上位8組のみに出場資格が与えられる「テニス・マスターズ・カップ」のダブルスにも初出場を果たす。 2007年全仏オープンで、ラムは混合ダブルスでナタリー・ドシー(フランス)とペアを組み、決勝でネナド・ジモニッチ(セルビア)&カタリナ・スレボトニク(スロベニア)組を 7-5, 6-3 で破って優勝した。こうして、ラムは2つ目の4大大会混合ダブルスタイトルを獲得した。2007年8月、ラムはエルリックとともに「ユダヤ人スポーツ財団」を設立した。9月20日-23日にデビスカップの「ワールドグループ・プレーオフ」が行われ、イスラエルはチリを「3勝2敗」で破り、世界最上位16ヶ国からなる「ワールドグループ」昇格を決めた。デビスカップでは、イスラエルは「ヨーロッパ・アフリカゾーン」に振り分けられ、ワールドグループでのプレーは1994年以来となる。 2008年全豪オープン男子ダブルスで、アンディ・ラムとジョナサン・エルリックは第8シードから初の決勝戦に勝ち上がり、フランスペアのアルノー・クレマン&ミカエル・ロドラ組を 7-5, 7-6 のストレートで破って初優勝した。全豪オープン終了後、2月8日-10日に行われたデビスカップ・ワールドグループ1回戦で、イスラエルはスウェーデンと対戦した。ラムとエルリックは第3試合のダブルス戦に順当勝ちしたが、2勝2敗で迎えた最終第5試合のシングルス戦でイスラエル・チームのハレル・レビがスウェーデン代表のヨナス・ビョルクマンに敗れたため、イスラエルはスウェーデンに2勝3敗で敗れた。9月のワールドグループ・プレーオフではペルーに4勝1敗で勝ち、ワールドグループ残留を決めた。北京五輪で2度目のオリンピックに出場したが1回戦でフランスのアルノー・クレマン&ミカエル・ロドラ組に 4-6, 4-6 で敗れた。 2009年のデビスカップではイスラエルチームは1回戦でスウェーデンを破り、準々決勝ではロシアに4勝1敗で勝利し史上初のベスト4に進出している。エルリックが右肘の手術を受けてツアーから離脱したためラムはマックス・ミルヌイとペアを組み、最終戦のATPワールドツアー・ファイナルで準優勝している。 2012年7月のロンドン五輪で3度目のオリンピックに出場した。2回戦では前回金メダルを獲得したスイスのロジャー・フェデラー&スタニスラス・ワウリンカ組に 1-6, 7-6(5), 6-3 で勝利しベスト8に進出した。準々決勝ではアメリカのボブとマイクのブライアン兄弟組に 6-7(4), 6-7(10) で敗れた。9月のデビスカップワールドグループのプレーオフでは日本と対戦しイスラエルは3勝2敗で勝利し3年ぶりのワールドグループ復帰を果たした。 ラムは普段からシングルスにはほとんど出場せず、4大大会の男子シングルスは2004年ウィンブルドンの1度しか出場歴がない。その1回戦では、ルーマニアのアンドレイ・パベルに敗れている。ATPツアーでのシングルス通算成績は、わずか4勝13敗である。 ラムは2014年9月のデビスカッププレーオフを最後に34歳で現役を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンディ・ラム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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