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アントニオ・デ・オリヴェイラ・サラザール : ウィキペディア日本語版 | アントニオ・サラザール
アントニオ・デ・オリヴェイラ・サラザール(、1889年4月28日 - 1970年7月27日)は、ポルトガルの政治家。首相および一時大統領で、エスタド・ノヴォの権威主義的独裁者と言われた。 == 出生と青年時代 == ポルトガルの北部ヴィゼウ県サンタ・コンバ・ダンの小地主の家に生まれた。姉が4人おり、末子であったが唯一の男子だった。当初は聖職者を目指しており、また生涯熱心なカトリック教徒であり、1900年(11歳)から1914年(25歳)までの間神学校で学んでいた。しかしながら当時のリスボンでは僧侶が多すぎたので、下級聖品叙品式の後に教会登録済みとして還俗し、その後はコインブラ大学で法学を学んだ。1916年に論文「黄金時代、その本質及び原因」により、経済学の学位を取得した〔野々山(1992:14)〕。 1917年に第一共和制政府から大臣になるよう依頼を受けたが断り、29歳の若さで1918年にコインブラ大学で政治経済学講師から教授に就任し教鞭を執った。政治経済学教授としてのサラザールは人気教授で、その講義には多くの学生が集まった。反カトリック的な共和政府に対しては不満を抱いており、カトリック擁護の意見を新聞に書いたり、教会の権利と利益を訴えたりしていた。この時期にサラザールは、20世紀初頭にフランスで勃興した王党派・極右団体であるアクション・フランセーズの影響を受けている〔野々山(1992:14)〕。
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