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アントニオ・ファルネーゼ : ウィキペディア日本語版 | アントニオ・ファルネーゼ
アントニオ・ファルネーゼ (Antonio Farnese , 1679年5月29日 - 1731年2月26日)は、ファルネーゼ家最後のパルマ及びピアチェンツァ公。ラヌッチョ2世と妃マリーア・デステの3男としてパルマで生まれた。オドアルド2世・ファルネーゼは異母兄、フランチェスコ・ファルネーゼは同母兄。 同母兄フランチェスコの死にともなって公位を継承した。1728年、エンリチェッタ・デステ(モデナ公リナルド・デステの娘)と結婚したが、フランチェスコに続いてアントニオにも子供がなく、彼の死後公国は異母兄オドアルド2世・ファルネーゼの娘エリザベッタ・ファルネーゼの長男カルロに継承された。カルロはまだ15歳と若いため、彼の祖母にあたるドロテア・ソフィアと前公妃エンリチェッタが摂政を務めた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アントニオ・ファルネーゼ」の詳細全文を読む
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